墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

貴人塚古墳 美旗古墳群・後編 三重県名張市下小波田

前回の馬塚古墳から南東に500mほどに貴人塚古墳があります。

 

田んぼに浮かぶ島のような姿。墳長50mほどの前方後円墳です。

 

その説明板。

史跡 美旗古墳群
貴人塚古墳
美旗古墳群最後の前方後円墳で、今は全長47mですが、発掘調査により元は55mありました。墳丘の周囲には浅い周隍が確認されています。後円部には、南に開口する横穴式石室が造られていると推定されます。出土した埴輪から馬塚古墳につづく6世紀初頭に造られました。
墳丘:人工的に盛り上げられた丘。上から見て丸と四角が組み合わさった前方後円墳は地域の支配者の墓として目立つように造られます。
周隍:墳丘のまわりの浅い空堀。水を溜めません。
横穴式石室:大きな石を部屋のように組み上げた墓。家族が埋葬されます。入口から玄室までの通路は羨道と呼ばれます。
埴輪:平坦部に垣根にように並べられた素焼きの焼き物です。
美旗まちづくり協議会

 

墳丘に上がらせていただいて、鞍部から後円部を。

 

墳頂の凹みは陥没か、草の焼け残りか。

 

ビニールハウス群の背後の土手は江戸時代初期につくられた「新田用水」で、南東の伊賀市高尾から15㎞引かれてきているそう。

 

後円部上から前方部方向(西)を。

 

前方部上の標柱。

 

前方部から西方向を。

300mほど先に、名張川支流の小波田川が流れています。

古墳の右の道は「旧初瀬街道」、奈良と伊勢を結んでいました。

 

北西には馬塚古墳も望めます(中央)

その右手前、田んぼの先の土盛りが「小塚古墳」だったようです。

 

説明板のそばには銅板の周辺地図も。

貴人塚古墳
前方部を西に向けた全長約55mの前方後円墳で、裾部は水田耕作のため著しく削平されている。発掘調査によって幅約6mの浅い周濠が確認された。出土品から6世紀初頭に築造された古墳であり、埴輪がめぐる。

 

銅板地図にも、毘沙門塚のそばにあったマップにも「赤井塚古墳」の位置が示されていましたが、スルーしてしまいました。

 

上記の古墳マップの貴人塚の絵は何故か大山古墳、というのが先日界隈で話題になっていましたね。