前回の鍋塚古墳の次はすぐ南の仲津山古墳の堤を歩きます。
後円部先端側を。
右にも左にも続く堤のカーブ。
墳丘の南東側面へ進みます。
禁足地の森。
途中からは道幅が狭くなりつつも、路は前方部先端側まで続いているようですが、ここで仲津山古墳とは別れて南へ向かいます。
仲津山古墳の拝所には、4月末の”まりこふんバスツアー”で訪ねました。
そのツアーでも見た中山塚古墳を再び。
民家をはさんで右(西)に、助太山古墳。
盾塚古墳公園は子供たちが遊びの最中だったので遠目に。
1955年の府営住宅建設で調査後削平されたものの、1987年の住宅建て替えの際に元の位置に復元整備されたそう。
盾塚古墳は墳丘長73mの帆立貝形古墳で、埋葬施設の粘土槨が漆塗りの盾11枚で覆われていたことが名前の由来とのこと。(「古市古墳群をあるく」より)
ぺんさんも4年前に訪ねられています。
その記事を読んだはずですが、現地はあまりにもきれいに整備されていて、公園遊具施設だと思ってしまいました…
翌日に搭乗したセスナから。
左下の高速道の右上にある黄緑の円形が、盾塚古墳公園です。
その盾塚古墳から南(下)へ高速をくぐると誉田御廟山古墳ですが、東側の堤(セスナのタイヤの上)が内と外に出っ張っているところが「二ツ塚古墳」
ブレてますが、堤に”内包”された墳丘、わかりますでしょうか。
二つ塚古墳を、東側のテニスコート越しに。
テニスコートの西側に小径がありましたが、民家で行き止まりでした
二ツ塚古墳の東隣には、小さな東馬塚古墳も残っています。
東馬塚古墳は一辺30m・高さ3.5mの方墳。墳丘には応神天皇陵倍塚の標柱。
「古市古墳群をあるく」によれば、二ツ塚古墳は墳丘長が110mにもなる前方後円墳で、後円部径73m・高さ10m、前方部幅60m・高さ8.6m。盾形の周堀と葺石が確認されていて、円筒埴輪や朝顔形埴輪、盾・靫の形象埴輪が出土。築造時期は4世紀末。
宮内庁により誉田御廟山古墳の陪塚に指定されていますが、誉田御廟山の内堀と堤は二ツ塚古墳を避けてつくられていることから誉田御廟山古墳(5世紀前半築)より先に造られていることが明らかで、両者の深い関わりが考えられるとのことでした。