墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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神原神社古墳 島根県雲南市加茂町神原

前回の松本古墳群から北北東に5km強、斐伊川の支流の赤川左岸に神原(かんばら)神社古墳があります。

 

神社北側の道路から。屋根の下に竪穴式石室が移築されていますが、元の位置は北に50mなので、まさにこの道路上あたりでしょうか。

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上流の東側。

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下流の西側。

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道路際に、神原神社古墳移築石室への案内表示。

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非常に荘厳な屋根。一見、土俵かと。

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移築とはいえ、天井を覆う石もリアルに組まれています。

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その説明板。

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神原神社古墳の竪穴式石室(移築)
ここにある石室は、もと現在の神社の北側にあった神原神社古墳の埋葬施設を移築したものである。古墳は昭和47年(1972)、斐伊川の支流、赤川の拡幅事業によって発掘調査され、石室内部から景初三年(239)の銘文を持つ銅鏡が出土している。この年号は、邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡百枚を授かった年であり、卑弥呼の鏡を出土した古墳として全国に知られることとなった。
古墳の墳丘は復元規模29×25mm高さ5m以上の大型方墳で、内部の石室はここに見るように多数の板石を積んで造られた竪穴式石室である。この石室は内法で長さ5.8m、幅1m前後、高さ1.4mで、床には粘土が敷かれ、その上に長さ5.2mの割竹形木棺が置かれた痕跡が残っていた。また、これらの下には排水溝や、朱と土器5個を納めた長方形の穴が発見されている。
棺内には多量の朱が認められ、三角縁神獣鏡1面と武器や農工具などの多量の鉄製品(素環頭大刀1本、剣1本、鏃36本、鍬先1点、鎌1点、鑿1点、斧2点、ヤリガンナ1点、錐1点、縫針2点)が、棺外からは鉄剣1本が出土している。また、石室天井石の上面からは祭祀用と考えられる壺やそれを載せる器台の破片が多数出土している。
この古墳は古墳時代初期の典型的な特徴を備えており、山陰で最も古いものと考えられている。銅鏡や豊富な鉄製品を入手することができた首長がこの地域に存在していたことは、出雲の古墳時代を語るうえで極めて重要である。また、南側丘陵にはこの古墳に前後する時期の小墳が多数存在し、そのひとつから県内初の破鏡が出土し注目されている。なお、出土品は昭和55年6月9日に国の重要文化財に指定されている。
平成12年(2000)3月 島根県教育委員会 雲南市教育委員会

 

南側から。

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西側から。

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天井石が無いところから、石を動かさないように中へ。

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板石を積んだ奥壁が見事でした。

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神原神社拝殿。

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その後ろの本殿。出雲の神社は、本殿が大きい印象でした。

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拝殿から神門をくぐった先の鳥居から。

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その背後、南側の鳥居。

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移築前の位置については、下記のサイトで知りました。

神原神社古墳、神原神社 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト

 

2021年10月上旬訪問