神原神社古墳を見た後は、北西に2㎞弱とすぐ近くにある弥生時代の遺跡、加茂岩倉(かもいわくら)へ。
東側にある駐車場に停めましたが、中国横断自動車道の加茂岩倉PAから歩くこともできます。
駐車場から10分ほど緩い坂を登ると、出土地への階段が。
階段の下にあった説明板。
加茂岩倉遺跡
1996年10月14日、農道工事の際、丘陵斜面より発見された銅鐸は滋賀県大岩山遺跡の24個を上回る国内最多出土の39個が確認され、全国的な注目を集めた。
本遺跡の銅鐸群は弥生時代中期に鋳造・使用されたものと考えられるが、全長が約45センチ級と30センチ級の大小の群からなり、小型鐸を大型鐸に「入れ子」状にして埋納されていた。
同じ鋳型で作ったとされる「兄弟銅鐸」が全国各地に分布することや、トンボ、シカ、イノシシ(?)、ウミガメ、人面などの絵画をもつ銅鐸が知られている。さらに吊り手の部分に「×」印の刻印を持つ銅鐸もあり、3.3㎞北西に位置する全国最多の銅剣などが出土した神庭荒神谷遺跡の銅剣群にも同様の刻印が施されているなど弥生時代の出雲の社会を考える上で第一級の資料といえる。
町内の神原地区では古墳時代前期に「景初三年」(西暦239年 卑弥呼が中国に遣使したとされる)の銘文をもつ三角縁神獣鏡が副葬された神原神社古墳が築造されている点も注目される。
雲南市教育委員会
そこは登らずに、先に見えていたガイダンス施設(橋上建物)へ、まず向かいました。
階段を登って施設内へ。
国内最多の39個の銅鐸が出土。
入れ子状での様子。
銅鐸内側を。この二重線のようなところに「べろ」が当たって音を出します。金属を知らない人々が初めてその音を聴いた時には、びっくりしたでしょうね。
ガイダンス施設から見た出土地点。左の斜面上の岩のところ。
近寄っていくと、加茂岩倉遺跡(銅鐸の里)と荒神谷遺跡(銅剣の里)とを結ぶ道(7.8㎞)のルートが示された写真マップがありました。
加茂岩倉遺跡での銅鐸出土の様子。
加茂岩倉遺跡発見の様子
平成8年10月14日、農道の法面工事のためのパワーショベルで山の斜面を削っていたところ、大量の銅鐸の出土により加茂岩倉遺跡は発見された。
遺跡は狭く細長い谷の最奥部手前の丘陵に位置し、南向きの丘陵斜面中腹にあたる標高138m、谷底からは18mと見上げるような高い場所に39個の銅鐸は埋納されていた。一箇所から出土した銅鐸の数は日本最多である。(後略)
すぐ脇に土坑も。
最初に見た階段を降りて、駐車場に戻りました。
駐車場の近くに説明板が見えたので近寄ると「大岩」がありました。
2021年10月上旬訪問