亀山古墳は上磯古墳群で、笹山古墳(前方後方墳)⇒北山古墳(前方後方墳)⇒南山古墳(前方後方墳)⇒亀山古墳(前方後円墳)と、群中最後に築かれた唯一の前方後円墳でした。
前方部左裾から。
もともとは、道路上まで前方部が伸びていたようです(左の前方後円墳)
くびれ部のあたりでしょうか。
そこに標柱がありました。
標柱の後ろを見上げると忠魂碑が2基。
墳頂は緑。
祠の前に気になる土嚢。
振り返っての忠魂碑。
大野町のサイトによれば、亀山古墳は全長約98.2m、後円部径約62.0m、高さ約8.5mの前方後円墳。
宝永7年(1710)に後円部の2m程下から朱に染まった冠・大刀・矢茎などの武具類の副葬品が出土したそうですが、村内に流行病が発生したので埋め戻されたとのこと。
文政12年(1829)、前方部に真宗学寮を建設した時に鏡2面(四獣鏡と六獣鏡)が出土しています。
大野町あけぼのミュージアムでいただいたパンフには以下の記述がありました。
上磯(かみいそ)古墳群
上磯古墳群は、北山古墳(県史跡、前方後方墳)、南山古墳(町史跡、前方後方墳)、亀山古墳(県史跡、前方後円墳)、笹山古墳(滅失、前方後方墳)と3基の小古墳(滅失)からなる古墳群です。いずれの古墳でも葺石・埴輪は見つかっていません。
笹山→北山→南山→亀山の順の築造とする見方が有力で、野古墳群(国史跡)に連続する可能性が高い古墳群として、学術的に注目されています。
従来は4世紀をと通して築造されたと考えられていましたが、令和2年度に実施した発掘調査で笹山古墳の築造時期が3世紀に遡ることが判明し、再検討をせまられています。
現在、国指定史跡にむけて大野町教育委員会が継続して発掘調査を実施しています。