今回からは前回までの一日前、2022年9月上旬の名取市の古墳巡り。
今から9年前に雷神山古墳を訪ねたのですが、すぐ北(1㎞弱)のやはり国史跡、飯野坂古墳群を回る時間が無かったので心残りになっていました。
名取駅で車を借りてスタート。飯野坂古墳群は名取平野に西側から突き出た舌状台地の北東端に立地。ちなみに南東端に東北地方最大の古墳・雷神山古墳(前方後円墳 墳丘長168m)があります。
グーグルマップに導かれて墓地の駐車場に。その北隣に飯野坂古墳群のうちの宮山古墳がありました。
駐車場のある南東側が前方部先端にあたります。
振り返った南東方向。田んぼの先には仙台空港(左奥に管制塔)
道路脇に宮山古墳の標柱。
道路を進むと墳丘へ入れるようになっていました。
その説明板。
国指定史跡 飯野坂古墳群
所在地:名取市飯野坂5丁目・名取が丘1丁目地内
指定年月日:昭和53年3月16日指定
飯野坂古墳群は、市の平野部中央に突出する丘陵(愛島丘陵)の北東部(飯野坂5丁目・名取が丘1丁目)一帯に、前方後方墳5基と方墳2基が隣接して分布しているものです。
この古墳群では、南東側から薬師堂古墳(全長65m)、宮山古墳(全長60m)、山居古墳(全長60m)、山居北古墳(全長40m)の前方後方墳が一方向に並ぶように立地し、山居古墳の東側には観音塚古墳(前方後方墳:全長65m)とその北側には観音塚北1号墳(一辺14.4m)・2号墳(一辺14.2m)の方墳があります。
また、以前この付近にカラト古墳(方墳?)、山囲古墳(墳形不明、横穴式石室、頭椎大刀出土)がありましたが、現在ある古墳群との関係は不明です。
これらの前方後方墳が造られた年代は、古墳の形状や採集遺物、築造形態などから、古墳時代前期(4世紀代)の間に収まるものと考えられており、また、古墳の性格は、この地域を治めた代々の首長墓ではなかったかと推定されています。
なお、古墳の詳しい調査は実施されていませんが、古墳群は、①観音塚古墳→②宮山古墳→③薬師堂古墳→④山居古墳→⑤山居北古墳の順序に築造されたのではないかと考えられています。
飯野坂古墳群は、隣接する区域に前方後方墳がまとまって造られており、全国的にもあまり例のない特異な構成であることから、昭和53年(1978)に国指定の史跡となっています。
平成27年3月20日 名取市教育委員会
平面図部分。なかなか大きな前方後円墳が5基も!、ほぼ同じ方向に主軸を向けて並んでいます。
宮山古墳の南側にある緩い斜面は造成工事中でした。
この先の数10mがカラト塚古墳跡になると思います。
道路から、宮山古墳が残る林の中に入ります。
西側からの後方部。右手が道路。
斜面を回り込んで、道路から見えた標柱を。
史跡飯野坂古墳群 宮山古墳
この古墳は、史跡飯野坂古墳群中丘陵北東端で最も高いところに立地する前方後方墳である。全長60m、後方部の長さと幅30m、前方部の長さ30mで、薬師堂古墳同様に前方部端が開かないタイプの古墳である。
北西の先端側からの後方部。墳頂に上がらせていただきます。
上がって振り返った後方部先端方向。
宮山古墳墳頂の様子。
その先、南東側に伸びた前方部。
前方部へ下りて振り返った後方部。
前方部の先端まで進んで振り返った後方部。
前方部先端から南東方向には、宮山古墳(墳長60m)の次に築かれた薬師塚古墳(墳長65m)が、こちらに後方部を向けています。
北東側から見る宮山古墳の前方部先端。
くびれ部(鞍部)のあたり。
後方部の右下角あたり。
道路に戻って観音塚古墳へ進みます。