墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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こうもり塚古墳(大藪古墳群) 兵庫県養父市大薮

日が沈もうとしている中、禁裡塚古墳を見学して宿へ向かおうとした際に、”現在地”の場所の看板に目がとまり、近くのこうもり塚は見ておこうと考えを改めました。

大藪古墳群は、およそ1400年前の6世紀後半から7世紀前半にかけて築造された古墳群です。
大藪集落を中心とする東西2㎞の範囲に約150基の古墳が造られています。
大藪には但馬を代表する4基の大型古墳があり、禁裡塚古墳・塚山古墳・西ノ岡古墳・こうもり塚古墳の順に造られました。
このほかにも、野塚古墳群19基や道林古墳群28基などがあります。
令和4年1月

大藪古墳群保存会 養父市教育委員会

 

集落の道を辿っていくと道路脇に開口部が。

 

説明板あり。

県指定文化財 こうもり塚古墳
指定年月日 昭和63年3月22日
こうもり塚古墳は、山麓の平坦部に造られた古墳で、外形はかなり損なわれているが長辺約28m、短辺約23mを測る大型の方墳と考えられている。
横穴式石室は、右片裾式で南東に開口し、全長12.4m、玄室の長さ7.1m、幅1.8m、高さ1.8mある。奥壁は巨石を2段に積んでいる。古墳が築かれたのは、古墳時代後期の7世紀前半と考えられている。
なお、背後の山には塚山古墳があり、大型の古墳が隣接して造られていることから2つの古墳の被葬者には非常に密接な関係が推測される。
平成5年11月 兵庫県教育委員会

 

養父市全体の古墳説明もありました。

古墳時代後期 養父市の古墳
養父市内には約1100基の古墳があります。その中には国指定1件、県指定7件の指定文化財があります。大藪古墳群がある場所は、奈良時代の養父郡養父郷にあたります。養父郷には、堀畑1号墳や大藪古墳群、そして養父神社が存在します。養父郷は養父郡の中心地であり、養父神社はこうした古墳をつくった有力者の氏神をまつった所という説があります。
■大藪古墳群(養父市大藪)県指定
大藪には、但馬地方では最大級の石室をもつ4基の古墳があります。禁裡塚古墳・塚山古墳・西ノ岡古墳・こうもり塚古墳です。禁裡塚古墳は昭和61年3月、その他は昭和63年3月に兵庫県指定文化財になりました。6世紀後半から7世紀中頃につくられた古墳です。その中でも禁裡塚古墳の横穴式石室は、高さが3.6mもある但馬地方では最大のものです。
■観音塚古墳(養父市上野)県指定
古墳は最大径27m、高さ2.5mの円墳で、6世紀前半につくられたものです。昭和54年3月に兵庫県指定文化財になりました。埋葬施設は、竪穴系横口式石室です。古墳の周囲には円筒埴輪が並んでいました。養父市内で埴輪が発掘調査された唯一の古墳です。
■箕谷古墳群(養父市八鹿町小山)国指定
つるぎが丘公園にある4基の古墳で、平成4年12月に国指定文化財になりました。箕谷2号墳は、直径約14mの小さな円墳です。この古墳から「戊辰年五月中」という感じを刻んだ鉄刀が発見されました。戊辰年は西暦608年を示します。これは兵庫県で最も古い感じの使用例です。箕谷2号墳の出土品103点は、平成4年6月に国指定重要文化財になりました。
平成25年1月 養父市・養父市教育委員会

 

標柱もあって賑やかな入口です。

 

かがんで入る高さ。

 

7m超の長大な玄室。

 

フラッシュで。

 

平滑な奥壁。

 

奥壁を背にして。

 

フラッシュで。片袖式ですね。


開口の斜め脇から。

 

石室に対して側面から。

 

こうもり塚古墳の、たった50m北に塚山古墳があるのですが、このときは冷静さを欠いていて、一本西の小径に入って迷って撤退しました。奥は泉光寺です。

 

そのあたりから谷を見下ろして。

近くの西の岡古墳も次の機会としました。

 

「但馬古墳手帳」によれば、大藪古墳群を代表する4古墳(横穴式石室有り)のサイズは下記の通り。

・禁裡塚古墳 円墳 径約32m~34m 石室全長約14m 6世紀後半

・西ノ岡古墳 円墳 径32m 石室全長約14m 7世紀前半

・塚山古墳 円墳 径約24~30m 石室全長約12m 7世紀前半

・こうもり塚古墳 方墳 一辺23~28m 石室全長約13m 7世紀前半