墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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こうもり塚(依智秦氏の里古墳公園3号墳)、百塚(同1号墳) 上蚊野古墳群・金剛寺野古墳群 滋賀県愛知郡愛荘町上蚊野

野洲市の大岩山古墳群を見た後は北東に24㎞離れた愛知(えち)郡、愛荘町(あいしょうちょう)の上蚊野(かみがの)古墳群を訪ねた。

スマホのグーグルマップ をカーナビ代わりに頼ったが、古墳群のすぐ近くの高速出口がスマートICで、ETCカードを携行しなかった自分は10km北の彦根ICまで行って一般道を戻る破目になった。スマホナビで高速を使う場合はETCカード必携です。

 

上蚊野古墳群は、国道307号線の西側の蚊野外(かのとの)古墳群と合わせて計約300基を擁する金剛寺野古墳群を構成していたが、戦後の開墾等でほとんどが削平されている。

 

行ってみると、駐車場もある整備された古墳公園だった。

 

北西側に1~4号墳(番号は上蚊野古墳群としてのものかも知れません)

 

南東側に5~10号墳。

 

金環や須恵器の出土品は愛荘町立歴史文化博物館で展示されているとあったが、この日は月曜日だったので次の機会に訪ねたい。

 

愛荘町による説明板。

依智秦氏の里古墳公園
上蚊野古墳群はもと102基からなる古墳群で国道307号線の西に展開している蚊野外(かのとの)古墳群の196基と合わせて金剛寺野古墳群と総称され、合計298基からなる県下でも最大規模の古墳群でした。しかし、戦後の開墾などにより墳丘はその大部分が壊されてしまい現在では当公園内の10基と上蚊野の八幡神社境内などに7基が残るのみとなっています。
ところで、10基の古墳が古墳公園として残されるようになったのは、昭和51年から52年にこの周辺で行われたほ場整備事業によるもので、文化財関係者と地元上蚊野地区の人々の協力のもとに保存されることになりました。
また、この時同時に8基の古墳の発掘調査が実施されました。この調査の結果、当古墳群は6世紀中頃から7世紀初めにかけて築かれたもので、大きく分けて2種類の異なった構造の石室を持つことが明らかになりました。
その一つは百塚やこうもり塚におけるような横穴式石室で、これは比較的大型古墳に多く見られます。
もう一つは竪穴系横口式石室と呼ばれ、階段式の石室構造になっているもので、たぬき塚や他の小型墳がこれに当たります。
両者の相違点は、百塚が棺を納める玄室と、そこに至るまでの道である羨道との床面が平で高低差がないのに対し、たぬき塚は羨道より玄室が30cmから50㎝低く、階段状になっていることです。この竪穴系横口式石室は、県下で安土町や竜王町、水口町などにその例があり、全国的には北九州地方に集中して見られるほかに、兵庫県や大阪府、奈良県に類例が見られるだけで、この古墳群がかなり特異なものであることがわかります。いわゆる渡来系氏族に関係をもつものと考えられます。
愛荘町

 

下記の滋賀県文化財保護協会の解説によれば依智(えち)秦氏は、現在の愛知(えち)郡を中心とした湖東平野を本拠地として活躍した渡来系氏族・秦氏の一族と考えられるそうだ。

10世紀以前の文献によって当時の愛智郡の郡司は依智秦氏が独占していたことがわかっているそうで、そのような史料や考古資料から金剛寺野古墳群は、渡来系氏族である依智秦氏一族の祖先が築いた墓地である可能性が高いとのこと。

http://shiga-bunkazai.jp/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%AC%AC73%E5%9B%9E/

 

金剛寺野古墳群分布図。膨大な数の墳丘があったことがわかる。

宇曽川右岸沿いに300基近くが点在し、県下でも最大級の後期群衆墳を形成していました。しかしながら、この大古墳群も、戦後の開墾等によりそのほとんどが消滅してしまいました。
(本図は「近江愛知郡志」を基にして作成したもので、各古墳の位置は必ずしも正確なものではありません)

 

まずは駐車場の隣の3号墳(こうもり塚)から。

 

この古墳には解説板がある。

こうもり塚古墳
近江では、6世紀前半頃から見られるもので、いわゆる後期古墳の一般的な構造であり、羨道床と玄室床がほぼ水平となっている。そして、この石室は家族墓として追葬を可能にしたところが竪穴式石室と大いに異なる点である。
当公園内では、1号(百塚)、3号(こうもり塚)がこのタイプで、10号も同じであったと思われる。

 

横穴式石室が開口しているが、ネットで覆われていた。 

 

墳頂に上がらせていただいて、北西側の1号墳(中央)を。

 

百塚とも呼ばれる1号墳。

 

こちらもネットに覆われた開口部がある。

 

下記の、愛荘町広報紙によれば、百塚古墳は横穴式石室全体が残る円墳で、直径約24m・高さ5.4mと群中で最大規模。須恵器などが出土。
こうもり塚古墳は直径19m・高さ3.2m、たぬき塚古墳は直径16m・高さ2.3m。

 https://mykoho.jp/article/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E6%84%9B%E8%8D%98%E7%94%BA/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86-2018%E5%B9%B411%E6%9C%88%E5%8F%B7/%E3%80%8E%E8%BF%91%E6%B1%9F%E6%84%9B%E6%99%BA%E9%83%A1%E5%BF%97%E3%80%8F-%E3%81%84%E3%81%BE%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%97-no-18/

 

百塚(1号墳)の頂きから北西側の眺め。後ろの山は秦川山(松尾寺山)で、西(左)側山麓に金剛輪寺、松尾寺がある。 

 

同じ場所から南東側。中央に10号墳が見えている。

 

今度は南西側。中央が3号墳(こうもり塚)、その右後ろは4号墳。

 

1号墳から北東側には八幡神社の森。こちらの境内にも古墳がある。

 

駐車場から今度は南西側の一画へ。左は10号墳。

 

見えていた山は鈴鹿山脈の御在所山や雨乞岳でしょうか。

 

周囲の紅葉した木々は桜。

 

愛荘町のサイトでは満開時の写真が見られます。

https://www.town.aisho.shiga.jp/kankou/shizen/shiki/3730.html

 

10号墳の墳頂へ。

 

赤い落ち葉もきれいでした。

 

10号墳の墳頂から1号墳。春は桜の花越しになるのでしょう。

 

同じく10号墳から南西側。

道路の向こうの左側に8号墳、その左肩に9号墳、中央に7号墳(たぬき塚)

 

道路の先に移動して。8号墳とその奥の10号墳。 

 

振り返っての9号墳。

 

中央は5号墳、その右肩に6号墳、左肩に7号墳(たぬき塚)

 

南西側に回ってパノラマで。

左から6号墳、5号墳、開口する7号墳(たぬき塚)、奥に10号墳、右に8号墳。

 

7号墳(たぬき塚)は次回で。