墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

亀塚古墳(国史跡・大岩山古墳群) 滋賀県野洲市冨波

冨波古墳・古冨波山古墳・亀塚古墳の3墳の、真ん中にあるのが生和神社前交差点前。

バス停から見た亀塚古墳。

 

吸い寄せられるように墳丘へ。

 

南方向には近江富士(三上山)

 

説明板のある位置へ行くと、前方後円墳であることがわかった。 

 

その解説。 

全長45m以上の帆立貝形古墳または前方後円墳で、5世紀後葉~末の築造。ということは、前期の冨波古墳・古冨波山古墳より200年ほど新しくなる。

国指定史跡 大岩山古墳群
亀塚古墳(かめづかこふん)
滋賀県野洲市冨波字亀塚甲1437番地1他
亀塚古墳は、大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上に築造されており、周辺には古冨波山古墳や冨波古墳が所在しています。江戸時代には、後円部の墳丘が亀に似た形から、字名に亀塚の名前が生まれました。
古くから土取り場となっていたため、後円部の墳丘はあまり残存していませんでした。周濠部分は水田となっていますが、幅9mを近く想定でき、北部については農道がかなりせまっています。遺物は、墳丘下段と東側の畑地に多くの土器片の散布が認められました。
平成19年(2007)の試掘調査により周濠が発見されました。後円部の墳丘は径33m前後で、西に伸びる前方部があり、全長45m以上の帆立貝形または前方後円墳と推察されます。後円部は、後世の削平で段築の状況や埋葬施設は不明ですが、墳頂部で高さ96.3m、周濠底で高さ91.6mを測ります。
出土した埴輪は、円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪などが認められます。円筒埴輪は口径25~30cm、底径20㎝前後を測り、形態は基底部を含め4段前後のものに復元できます。埴輪の外面に叩き技法を持つものが認められます。
試掘調査の結果、古墳の形状・埴輪の時期・須恵器から、古墳時代後期初頭の5世紀後葉~末頃に造られたと考えられます。
平成21年(2009)1月 野洲市教育委員会

 

「高さ」に地上高ではなく標高が書かれるのは珍しい。

 

教育委員会による説明板もあった。

史跡 大岩山古墳群
亀塚古墳
昭和60年2月7日指定
亀塚古墳は、古くから土取り場となっていたため、後円部の墳丘はあまり残っていませんでした。北西側は農道がかなり迫っていますが、水田となる周濠部分は幅9m近くあると想定できます。墳丘下段と東側の畑地に、多くの土器片の散布が認められました。
平成19年の試掘調査により周濠が発見されました。後円部の墳丘は径33m前後で、西へ伸びる前方部があり、全長45m以上の帆立貝形古墳または前方後円墳と推察されます。後円部は、後世の削平で段築の状況や埋葬施設は不明です。
出土遺物には円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪などが認められます。古墳の形状、埴輪や須恵器の時期などから、古墳時代後期初頭の5世紀後葉から末頃に造られたと考えられます。
平成25年3月 滋賀県教育委員会 

 

前方部の右裾側へ回ってみる。

周溝の位置が再現されていて、かつての大きさを想像できる。

目の前が”くびれ部”で、後円部の墳丘は一部しか残っていない。

 

一部だけ残った後円部。

 

後円部の横から。前方部方向。

 

後円部の先端側。

 

 先端側の土手の先には用水路があった。

 

その土手から見た墳丘。

 

小さく残った墳丘に樹木が。

 

下草の刈られた墳丘に上がらせていただいた。

 

墳頂から前方部方向。

 

後円部先端方向。

 

交差点へ戻り、亀塚古墳を振り返る。急に夕立のような土砂降りに見舞われた(この時点で午前11時頃)