前回の” 依智(えち)秦氏の里古墳公園”の後編です。
7号墳(たぬき塚)は、珍しいタイプの石室を見学できるようになっていた。
たぬき塚
朝鮮半島の伽耶地方から、5世紀前半に北九州地方に伝えられた構造で、その特色は、羨道床と玄室床の間に段差があり、近江には6世紀中頃から出現する。ただし近江のものは一般的な横穴式石室と融合した形式を持っており、北九州地方のものとはやや異なった様相を呈している。当公園内では、2、4、7~9号がこの構造を持つと思われる。
南側の開口部に廻ると別の説明板。
たぬき塚古墳は、玄室床面が羨道に比べると約35㎝低くなっており、いわゆる階段式石室構造となっています。また玄室後方には木棺を置いたと思われる棺台の石が認められます。石材は、宇曽川などで一般的に見られる湖東流紋岩が使用されています。
石室の調査では、人骨や棺材などは残っていませんでしたが、耳環、鉄製刀子、あるいは土器(須恵器)などが出土しました。
対面して、しゃがんで撮影。
斜め前から、立って撮影。
再びしゃがんで、開口部から玄室内を。
身をかがめて入らせていただきました。
奥壁の右、側壁の下部に中央側に15㎝ほど突き出した石があり、それを「突起石」と呼ぶことを後で下記の資料で知った(機能等は不明だそうです)
http://shiga-bunkazai.jp/download/kyoshitsu/k225.pdf
奥壁側から開口部。羨道側から2段、階段状の段差(各約35㎝)がある。
下記の滋賀文化財教室シリーズの解説によれば、金剛寺野古墳群の調査では、石室が現存していた古墳10基のうち、3基が階段状の段差がある石室をもつことが確認され、滋賀県内では同様の石室が特に旧愛知(えち)郡と旧蒲生郡に分布するとのこと。
朝鮮半島から九州北部に導入された初期の横穴式石室(竪穴系横口式石室)の影響を受けていると考えられるが、滋賀では板石を小口積みにしない石室構造や築造年代等、九州北部の竪穴系横口式石室とは異なる点も見られるそうだ。
http://shiga-bunkazai.jp/download/kyoshitsu/k225.pdf
天井にガラス板が嵌められて明るい室内だったが一応フラッシュで。
奥壁から、しゃがんだ態勢で右側壁。
左側壁。
階段部分を。
その後、公園駐車場に車を置いて、案内図に「現存古墳」と記しのあった八幡神社へ向かった。
振り返っての依智(えち)秦氏の里古墳公園。桜満開時に再訪したい。
日差しが強くなってきた。1時間半前の土砂降りが嘘のよう。
すぐに八幡神社に到着。
参拝して振り返る。
境内には、丁寧に前掛けをされた地蔵さま達が。
草の繁茂を前にして、墳丘は見つけられなかった。
鳥居の脇の盛り上がりを、もしかしたらと写したが。
後で調べていたらこちらの方のサイトで、立派な開口部のある墳丘があったことを知りました。