11月下旬の三連休墳行の2日目。
近鉄日本橋を7時に出て、近鉄電車で桜井駅まで46分。駅からニコニコレンタカー桜井戒重店へ歩き、車を3時間だけ借りて幾つかの古墳を巡る計画。
最初に向かったのは赤坂天王山古墳。
最近ではテレビ番組でも紹介されている、一説には古墳ファンの間で”最も人気が高い”古墳(横穴式石室)ですが、自分は初入室。
動物が入らないように金網のゲートが設けられています(鍵はありません)
道路に向かって解説板が。
史跡 昭和29年3月17日指定
天王山古墳
東南方から北西方にのびる尾根上に営まれた方墳で、この尾根上には他にも多数の小古墳が散在している。墳丘の一辺は約45m、高さ約9mを測り、うちに家形石棺を蔵する雄大な横穴式石室が南に開口している。石室は巨大な花崗岩を架構したもので、玄室の長さ約8.5m、幅約3m、高さ約4.2m、羨道の長さ約8.5m、幅約1.8m、高さ約2mである。玄室の中央には棺身の長さ2.4m、幅1.2m、身蓋を合わせた高さ約1.8mの巨大な刳抜式の家形石棺が置かれている。なおこの棺身の羨道に面した側の上辺中央に方形小孔が彫りこまれているのが注意される。副葬品については明らかでないが、石室や石棺の型式から6世紀後半に築造されたものと推定される。
この古墳はその名の示すごとく、江戸時代には崇峻天皇陵に擬せられていたもので、墳丘や石室の規模からも、大化前代の支配者層の墳墓と考えられる。金吉穂うにおける古墳時代後期の代表的な古墳として著名である。
奈良県教育委員会
畑地の脇の見学路を上がります。
すぐ先で左に折れ、斜面へ向かいます。
すぐに開口部がわかりました。
かなり狭く四つん這いで入るパターンですが、ワクワク感が高まる瞬間です。
(懐中電灯必携です)
先に入って、後から来る同行者(妻)を。
フラッシュで。
玄室奥壁を照らして。
フラッシュを焚くと、高さ4.2mの巨大石室の全容が。
全長も8.5m(6.4m?)ある玄室。羨道も8.5m、合わせて15~17m。
桜井市観光協会のサイトには、玄室長6.4mとありました。
赤坂天王山古墳(桜井市 倉橋) - 一般社団法人 桜井市観光協会公式ホームページ
小さな懐中電灯では力不足。
石棺も巨大です。
下記の非常に詳しい調査報告書によれば(70頁目)、棺の基底は埋没しているものの、現状で棺蓋上面までの高さは1.51m以上、棺身の長さは約2.5m、幅約1.6mあるそうです。
https://www.city.sakurai.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/48/akasakatennozan_Part1.pdf
家形石棺の蓋には縄掛け突起が6カ所。
盗掘孔から石棺内を。棺身は美しく刳り抜かれています。
前出の報告書によれば、石室材は古墳群の南に位置する音羽山山麓付近から採られた石材、主に大型で角張った石英閃緑岩が用いられ、一部に斑糲岩と変輝緑岩の使用が報告されているとのこと。
側壁、奥壁、天井石とすべて巨石ですが、室内が広いのでそれほど圧迫感は感じられませんでした(個人の感想です)
石棺と奥壁の間に回って羨道側を。
石棺と、開口部からの光とを。
フラッシュで、巨石を。
本来の羨道部は高さ1.9mほどあるが、開口部側が流れ込んだ土で埋まっている状態。
その斜面を登って最後は四つん這いで出ます。
外へ出て開口部の背面側から墳丘を。
1号墳の背面側には、3号墳があります。
が、墳丘は金網の向こう側にあって近づけませんでした。
墳丘の南側の景観。
場所はこちら。
桜井市のサイトには、被葬者は、規模の大きさや造られた時代から6世紀末に暗殺された崇峻天皇の墓(宮内庁が陵墓に指定する崇峻天皇陵は別にあるが)ではとみられているとありました。
この後に3㎞東の花山塚古墳を目指しましたが、迷って未到達。
上記の左へ入るのですが、2m先ですぐ右へ、つまり中央の小山を乗り越える方向へ行くのが正解だったようですが、左へ巻いて進んでしまいました。
下記のサイトの「間違いルート」をそのままに。
グーグルマップを頼りすぎたようです。
ポイントを目指して道なき斜面を登り、そこに来たと思うと、現在地がすぅっと横ずれしていくという体験を何度も味わい、もう一歩で遭難するところでした。行かれる方は充分にお気を付けください。