前回の依智(えち)秦氏の里古墳公園から西に3.5㎞に勝堂(しょうどう)古墳群がある。
最初に、集落の入口にあった朝日塚(山上塚)古墳を見学。
道路脇に二つの祠を載せた土盛りが。
そこにあった説明板。
行者塚古墳・朝日塚古墳(勝堂古墳群)
朝日塚古墳は、昭和29年9月に集落整備にともなって土取りされました。土取りの際に須恵器が出土し、高坏や壺、はそう(瓦へんに泉)など現在15点が伝わっています。およそ6世紀中頃以降の製作と思われ、勝堂古墳群の年代を示す貴重な資料となっていることから、平成24年3月28日に市有形文化財・考古資料として指定しています。
東近江市教育委員会(行者塚古墳の解説は後述)
墳頂部にある方の祠。
その後ろ側。
端の様子。
端から振り返って。

裾側から。

ぱっと見は小さな前方後円墳のようだが、 下記の滋賀県文化財保護協会のサイトで直径20mの円墳と知った。
江戸時代には48基あった勝堂古墳群だが、今は赤塚・弁天塚・おから山・行者塚・山上塚の5基が残り、山上塚以外は県指定史跡。
朝日塚(山上塚)からは集落の中を南へ向かう。
100mほど進むと、家々の間に行者塚古墳が現れた。
階段はあるが、ロープで閉ざされていた。石碑には、大峰山役行者堂と刻まれる。
別の角度から。

墳頂には、お堂の基礎?

さきほどの説明板にあった行者塚古墳の説明部分。
行者塚古墳(古墳時代後期・6世紀末)は48基あったとされる勝堂古墳群のうちの一つです。後世に、墳頂部に行者堂が建造されていたことから、その名が呼ばれるようになったとされます。
現在の大きさは、墳頂が平坦な方形を成すため一辺23m、高さ5.3mの方形状となっていますが、後世に道路などで削られており、築造当初は30m以上で、円墳であった可能性もあります。
埋葬施設は横穴式石室で、天井石5枚、側壁4段、奥壁は一枚石で組まれた石室(玄室)は、奥行き約6m、幅約2mと長大です。このことから平成25年3月19日に県史跡に指定しています。
東近江市教育委員会埋蔵文化財センターの資料(下記)には、現在は入れない石室内写真が掲載されている。(朝日塚古墳から出土した須恵器の写真も)
https://www.city.higashiomi.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000007/7936/okarayamakofun.pdf
次に集落南端の、おから堂を目指した。振り返っての飛び出し坊や。
