十九壇古墳群は前回の深沢古墳から500mほど南に所在します。
広めの谷戸(水田)を挟んでいるが、同じく雄国山麓の縁で水田との比高差は30m程。
坂道を登っていくと道の左手に説明板が見えてきます。
背後には1号墳。
墳丘を「壇」と呼ぶケースは初めてでしたが、方墳とのことでなるほどと思いました。残っているのは4基ですが、19”壇”あったときはさぞかし壮観であったことでしょう。
市指定史跡 十九壇古墳群
所在地 塩川町大字金橋、大字中屋沢
本地域は、古くから十九個の大小の壇(塚)があったことから俗に「十九壇」と呼ばれていたところですが、現在では僅かに4個の壇が残るだけになっています。これらの壇は、今までに崩されたものから、板石組合わせ式石棺(遺体埋葬施設)が出土しており、古墳時代(4世紀~7世紀頃)に築かれた古墳であることがわかっていました。また昭和45年9月に塩川町教育委員会主催による発掘調査の結果、残っている1号、2号、4号と呼ばれる壇は、平面形態が方形をした方墳で、3号墳は前方後円墳であることが判明しました。その際古墳の内部から古式の土師器が出土し、4世紀末頃に築造されたものであることが明確になりました。特に前方後円墳・方墳は、古墳の分布上特殊なもので、会津地方における古代史研究のうえでも重要視されています。
1号墳 16×13mの方墳 高さ2.2m
2号墳 12×13mの方墳 高さ1.6m
3号墳 長軸23mの前方後円墳 高さ2.6m
4号墳 10×11mの方墳 高さ1.1m
市指定年月日 平成18年1月4日
喜多方市教育委員会
3号墳は図では前方後方形でした。
1号墳の墳頂に上がらせていただいて、隣の2号墳を。
そこから右手、北方向を。説明板の図によれば奥にもう2基あるはずです。
1号墳を降りて北へ向かいます。振り返っての1号墳(左)と2号墳(右)
さらに右に視線を移すと会津盆地がきれいに見渡せました。(左が2号墳)
この場所を選んだ方々の気持ちがわかるような気がしました。
はじめは3号墳と見誤った草むら。
そこから振り返った1・2号墳。
果樹園のようなので引き返そうかとも思いましたが、もう少し行ってみることに。
そのすぐ先に、美しく残る前方後方墳(3号墳)がありました!
前方部左裾側から。
鞍部から上がらせていただいて後方部を。
後方部墳頂から望む、木の枝越しの会津盆地。
振り返っての前方部。
前方部上から後方部を。
前方部右裾から。
前方部から先に標柱がありました。(左奥が3号墳前方部)
その後ろには4号墳。
帰路の坂道で。斜面の等高線をなぞるように用水路がありました。
道路にそって枝水路。
幹線は、道路の下をくぐって反対側(北)へ、豊かな水を送っていました。