前回の田中・舟森山古墳の250m南東に残る深沢古墳。
こちらも墳頂に社殿(熊野神社)を載せていた。
墳丘前は遊具が充実。ブランコはちょっと低すぎたか。
喜多方市教育委員会による説明板。ここも前方後方墳(の可能性)
市指定史跡 深沢古墳
この古墳は、雄国山麓から平地に移行する緩斜面に立地し、当初前方後円墳とされていたが、後円(方)部上に祀られている熊野神社造営時に墳丘の一部が削平を受けて変形しているため、前方後方墳の可能性も考えられる。
墳丘は現況で全長約40m、前方部は中心軸が北から27度西に振れており、現況の長さ約18m、高さは約2mである。
後円(方)部はかなり変形を受けており、前方部の軸線とは一致しない。現況の高さは約4mである。後円(方)部南西裾に、幅約2.8m、長さ約11mの古墳周囲に掘られた堀である周濠と考えられる痕跡が認められる。
周辺は古墳時代前期の古墳が集中する地域であり、中でも前方後方墳の立地が多く、北西200mの地点に田中・舟森山古墳、南600mの地点に十九壇古墳3号墳(十九壇古墳群)、北東500mの地点に観音森古墳(竹屋古墳群)が立地している。
市指定年月日 平成18年1月4日 喜多方市教育委員会
鳥居のある南側から。
後方部(後円部?)は4mの高さが残る。
墳頂の熊野神社に参拝。
鳥居を振り返って。
社殿の左後方、北西に延びる前方部。
長軸上から見下ろして。
前方部の先端の眺め。
そこから振り返った後方部(後円部)は比高差2m。
鳥居の近くから東方向の雄国沼外輪山。40万~50万年前に猫魔火山(猫魔ヶ岳)噴火で出来たカルデラです。
そこから南側を振り返ったところも墳丘のように見えたので写真に撮りました。
が、そこではなくて左後方の木立が深沢茶臼森古墳であったことをあとで知りました…
前々回にも引用させていただいた下記のコラムの著者の青山氏によれば、国土地理院の基盤地図データから作成した等高線図により、(深沢)茶臼森古墳は全長40mほどの(帆立貝形)前方後円墳と確認されるとのこと。
築造時期は、近くに所在する古墳時代前期の大型の前方後方墳(or 方墳)に後続して築造された可能性を示唆されています。