墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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八葉寺阿弥陀堂 福島県会津若松市河東町広野冬木沢

喜多方市の十九壇古墳群から会津若松市へ戻る途中の県道69号線沿いで素敵な枝道があったので、思わず左折して停車。

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ズームした先は小高くなっています。

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磐梯山も上のほうまで見え始めました。

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地形に惹かれて進んだ先の集落には、阿弥陀堂のある八葉寺がありました。

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門をくぐると境内中央に池が。

手前には陵墓にあるような高札と数種の解説板。阿弥陀堂は重要文化財でした。

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八葉寺阿弥陀堂も会津三十三観音のひとつでした。

空也上人建立し、毎年8月5日には空也念仏踊りが行われていると!

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日本遺産 会津の三十三観音めぐり
八葉寺(はちようじ)阿弥陀堂
964年、空也上人がこの地を訪れた際建立したことが始まりとされ、周囲の供養されていない遺骸や遺骨を集め境内に供養したことから「会津の高野山」といわれる。本堂の阿弥陀堂は1589年の戦火で一度焼けたが、その後再建され現在に至る(国指定重要文化財)。木製の五輪塔に遺髪や遺骨を入れて供養する風習が伝わっており(国指定重要有形民俗文化財)、また、毎年8月5日に「空也念仏踊り」が行われる。 

 

池の後ろの阿弥陀堂。 

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見事な桜の絨毯と入母屋萱葺きの阿弥陀堂。

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阿弥陀堂を正面から。

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「伊達政宗の戦禍」以前の室町期の建立だそう。

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本堂(阿弥陀堂)
【ご本尊】 阿弥陀如来(秘仏 善光寺様式の一光三尊仏と伝える)
【建物】 方三間 単層入母屋 妻入 茅葺
【由来】
空也上人が近隣の野ざらしにされた遺骸をここに集め、鄭重に供養されたことから、諸陵山と号している。この御堂は浄土庭園の様式をとる当山の中心となっている。上人の創建以後幾度か焼亡し、現在の御堂は、現存する棟札や堂内の落書から、天正17年(1589)伊達政宗の戦禍以前、室町後期の建立とされている。最近では大正14年の解体修理、平成12年の失火による半焼後の大修理などによって保存がはかられている。毎年8月の会津高野山詣りは、平成12年、国により新たに「早急に記録すべき重要無形文化財」に指定された。
【ご真言】オンアミリタテイゼイカラウン
【お念仏】南無阿弥陀仏
(後略)

 

福島県のサイトには室町末期の文禄年間(1593~1596)の再建との記載が。

https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41340a/www-wakamatsu-kensetsu82.html

 

手入れの行き届いた軒下の様子。 

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背面の墓地側から。

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素朴な尊顔の地蔵様。並ぶ6尊は首は補修のようでした。 

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その近くには空也上人が独鈷杵で掘ったという清水が今も流れていました。

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場所はこちら。500mほど東に磐越西線が通っていたのですね。