志段味古墳群の大塚・大久手古墳群地区のつづき、西大久手古墳から西側の3基を。
東大久手古墳側から南西側の眺め。中央の二本の木の奥が古代体験広場で、その右の背の低い木の後ろが西大久手古墳でした。
西大久手古墳も、のっぺりした復元ですが一部周溝もあって平面形がわかるようになっています。
現地説明板。墳長37mは東大久手古墳(39m)より、ほんの少し小さめ。
西大久手古墳
西大久手古墳は5世紀中頃(古墳時代中期後半)に築かれた、志段味古墳群の中で最初の帆立貝式古墳です。墳丘の長さは約37mで、周囲には濠がめぐっていました。現在、墳丘は大きく削り取られて低くなっていますが、造られた当時は後円部は2段に築かれ、そこには葺石が積まれ、埴輪が並べられていたと推測されます。東日本で最も古い巫女形埴輪や馬形埴輪が出土しています。
名古屋市教育委員会
出土した埴輪の実物は、おとなりのミュージアムで見られました。
前方部左裾側から。微妙な高さですが分かるでしょうか。
その西には立体で復元された大久手3号墳。
現地説明板。
大久手3号墳
大久手3号墳は志段味古墳群の中で確認されている唯一の方墳です。一辺約14mの墳丘に周りには溝がめぐっています。出土した末木から5世紀後半(古墳時代中期後半)に築かれたと推定されます。葺石や埴輪は見つかっていません。
墳丘の大部分は削られていましたが、発掘調査の成果などを基に、墳丘を復元しました。
名古屋市教育委員会
自分は四角形がいいと、こだわりを持った方がいらしたのでしょうか。
最後に古墳公園の西端の大久手4号墳。
現地マップには、他の古墳のような墳形は記されていません。
現地説明板は撮りそびれてしまいましたので、いつものようにぺんさんのサイトを参考にさせていただきます。
現在の土盛りは江戸時代以降に築かれた塚であることが判明しているものの、古墳に関わる須恵器や埴輪も出土していることから古墳を転用した可能性も考えられるそうです。
大久手3号墳-4号墳-5号墳【愛知県名古屋市】 - ぺんの古墳探訪記
塚上に幹を広げる木は桜ではないでしょうか。
そこから西方向。
振り返った東方向。中央奥が東谷山。
気になる石列ではありますが…
2024年12月上旬訪問