墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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瓶山4号墳・井手狭3号墳(復元) 鳥取県米子市淀江町福岡

石馬谷古墳を見学後、向山丘陵の南端を回り込んで、北東側に平行する瓶山丘陵の古墳に向かいました。どちらも伯耆古代の丘公園内になります。

 

上のマップの「現在地」の駐車場に停めて、左端のほたて貝古墳を目指します。まちがって冒険広場まで行って引き返し、記念の森あたりから階段を上がると、瓶山(かめやま)4号墳がありました。

近寄ることはできません。

 

その説明板。一辺16mの方墳です。

瓶山4号墳
瓶山丘陵北側の平坦地にあるこの古墳は一辺16mを測る方墳です。
現在、後の破壊によって墳丘の一部しか残っていませんが、発掘調査で円筒埴輪が出土し、6世紀後半に作られた古墳であることが判りました。
瓶山古墳には、4号墳を含めて前方後円墳2基、円墳3基、方墳2基の合計7基の古墳があります。

 

そこから振り返った北側に、葺石や埴輪が復元された墳丘が!

 

盾持人埴輪が麓と墳頂に。

 

墳頂の様子。

 

奥は弥生広場です。

 

南側には先ほどの瓶山4号墳。

 

淀江町の平野部。

 

美保湾の先の島根半島の山々を遠望できました。

 

墳丘から降りて振り返って。

 

ここで説明板を読んで、ここ瓶山丘陵の古墳ではなく、2㎞ほど南の中西尾にあった井手狭(いでばさみ)3号墳を3分の2で復元したものと知りました。

ほたて貝式古墳
中西尾の井手挟(いではさみ)3号墳を3分の2の大きさで推定復元したものです。1992年公民館建設に伴う発掘調査で発見されました。盛り土は削られていましたが周りの溝が残っており、盾持人を含む多くの埴輪が出土しました。調査の結果、古墳時代中期(約1500年前)に造られた古墳とわかりました。長さ約30mにほたて貝式古墳で、葺石を巡らし、埴輪を立て並べたものと考えられます。
古墳とは豪族の墓のことで、他の豪族や人々に対する権力の象徴として築かれたものです。淀江町では約400基もの古墳が確認されており、全国的にも古墳の集中する地域の1つです。井手挟3号墳もこの地方で権力をふるった淀江の豪族の墓なのです。

 

このあと石馬のことを忘れて、すぐ(1㎞ほど)北東の妻木晩田遺跡へ向かったのでした。