墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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保内三王山古墳群・前編 新潟県三条市上保内

2022年9月の越後墳行で最後に訪ねた場所が、保内三王山古墳群でした。

前回の古津八幡山遺跡から16㎞南西の、丘陵裾の尾根上立地。

 

県道22号(三国街道中通り)沿いに駐車場あり(ストリートビューで)

 

駐車場にある解説板。

概要
保内三王山古墳群は、1600年前の古墳時代前期に造られた前方後円墳(1号墳)、前方後方墳(4号墳)、造出付円墳(11号墳)と、1500年前の古墳時代後期に造られた円墳(2・5~9・13・15・17号墳)、方墳5基(3・10・12・14・16号墳)の計17基からなる古墳群です。
蒲原平野の信濃川右岸地域を支配した三条の豪族は、大和王権によって認められ、代々上保内の旧領の尾根筋に前方後円墳、造出付円墳の順に古墳を大形化しながら、形をうより大和王権と結びつきが強いものへと昇格させ、最終的に古墳群中最大の全長38mの前方後円墳を築くまでになりました。
古墳時代前期の古墳は、東北南部を到達点に、北方支配を推進した大和王権の中継地点として三条の地が特に重視され、この地を治めた豪族が勢力を拡大したことを物語っています。
また、古墳時代後期の古墳は、蒲原平野に所在する唯一の後期古墳で、新潟県の歴史を考える上で重要な古墳群となっています。
古墳時代前期から古墳時代後期の様々なタイプの古墳が一か所から発見されるのはとても珍しく、新潟県ではこの保内三王山古墳群だけです。

 

解説板のマップ。最高所の11号墳は標高100m超で、比高差90mほど。

 

登り始めて振り返って。広がる越後平野(=蒲原平野=新潟平野)

蒲原平野とは - わかりやすく解説 Weblio辞書

 

最初に現れたのは17号墳。

 

径11.5mの円墳です。

17号墳(円墳)
・大きさ:直径11.5m、高さ2.8m
墳頂部は尾根の斜面から舌状に突出し平坦面となっている古墳時代後期の円墳です。尾根の先端部側の墳麓は平坦部が伸びていて16号墳と似ていますが、この古墳は山側の墳麓線がはっきりと弧を描いていて、わずかな立ち上がりが見られます。

 

横目に見ながら先へ。

 

次の2号墳も同規模の円墳。

2号墳(円墳)
・大きさ:直径11.0m(墳頂の平坦部分 長軸5.5m・短軸4.6m)、高さ北側2.0m
北西方向に延びる尾根の自然傾斜を利用し造られた古墳時代後期の楕円形の円墳です。

 

そのすぐ上に、隣り合う3号墳は方墳。

 

振り返ると説明板。

3号墳(方墳)
大きさ:全長東西11.0m~13.0m、南北9.0m、高さ北西側2.0m
墳丘西半分は方墳としての形状を留めており、特に北西のコーナーがきれいな形で残る古墳時代後期の古墳です。墳丘北東部・南東部は自然傾斜に連続しているため、墳頂・墳端は不明瞭となっています。

 

さらにそのすぐ先に、前方後円墳の1号墳。前方部側から。

 

周囲にロープが張られていて墳丘へは入れません。回り込んで後円部を。

 

後円部側に説明板がありました。全長37.5mの柄鏡形の前方後円墳です。会津や那須との関係とか、深い解説です。

1号墳(前方後円墳)
・大きさ:全長37.5m
後円部径 23.0m・高さ5.0m
前方部長さ 14.5m・高さ3.0m
尾根の中腹に築かれた古墳群の中で唯一の柄鏡形をした前方後円墳で、この古墳最大の規模を誇ります。この古墳の特徴は、西側が二段になっていて西半分が大きく張り出していることです。これは、尾根幅いっぱいに築かれた古墳を、平野の村々から見た時に大きく見せるための工夫です。このような造営方法の前方後円墳は、蒲原平野には見られませんが、八十里越でつながる会津盆地で見ることができます。また、発掘調査で確認された2基の木棺直葬の埋葬施設は東西に長く、遺体は東枕で埋葬されたと考えられ、会津盆地や那須地方と共通して注目されています。
※新潟県指定文化財保内三王山古墳群出土品は三条市歴史民俗産業資料館で展示しています。

 

1号墳と隣り合う4号墳(前方後方墳)を、前方部側から。

4号墳(前方後方墳)
・大きさ:全長16.1m
後方部長さ 11.45m
前方部長さ 4.65m・高さ3.31m
前方後円墳の1号墳と同じ尾根筋上に築かれた前方後方墳です。後方部に比べ前方部が極めて小さく、当初は方墳と考えられていました。内部は未調査でしたが、1号墳よりも高所にあることや前方後方墳という墳形から、この古墳群の中でも最も古い古墳と考えられています。このような小型の前方後方墳は、北陸地方の初現期の古墳に多い形で、自然地形の尾根を大いに利用した盛土が少ない初期の造営方法で造られています。

 

振り返って、1号墳の後円部方向。

 

4号墳を過ぎたところに「古墳位置図」がありました。助かります。

 

立体古墳のようにアマガエルが。

つづく。