前回のつづき。
西谷戸横穴墓群をみたあと、対岸の尾根と隣の谷戸を越えて600mほど東南東にある別の横穴墓群を訪ねた。
妙福寺に参拝してから山門を出て左へ細道を入っていくと、谷戸らしい風景があった。
野菜の無人販売所がある。
さらに進むと、谷戸には水田が残っていた。
途中で左に向かう表示板があった(振り返って)
その先の風景。
グーグルマップにはこの枝道は表示されない。
こちらの谷戸の先に作業小屋のようなものが見えてきた。
その手前を左に入る標識があった。
ロープが張ってあるわかりやすい道を上る。
ハイキングコースのような雰囲気。
斜面下方向を見下ろす。
コースに沿って歩いていくと、森の中に見慣れた形の解説板が立っていた。
東京都指定史跡
下三輪玉田谷戸横穴墓群(しもみわぎょくだやとおうけつぼぐん)
所在地:町田市三輪町字11号897番
指定:平成20年3月26日(種別変更)
下三輪玉田谷戸横穴墓群は、大正14年に調査された家形彫刻を有する横穴墓として著名な横穴墓群です。
横穴墓は古墳時代後期6・7世紀に盛行する墓ですが、そのうち屋根形天井構造の家形横穴墓は、住居としての家屋構造を模した墓です。
下三輪玉田谷戸横穴墓群では4基の横穴墓が検出されていますが、第1号横穴墓は切妻妻入の小屋組構造の梁・桁・垂木などを浮き彫りし、第3号横穴墓はドーム形とアーチ形の中間的な形の天井中心に向けて16本の垂木が浮き彫りされています。他地域の家形横穴墓は天井形態も「家」形態なのに対し、本例は在地の横穴墓に一般的なドーム状のものに家構造を浮き彫りしているのが特徴です。2号、4号横穴墓は在地系の浮き彫りのない横穴墓です。
家形横穴墓は全国的にも類例が少なく、東京都内ではこの2基のみしか確認されていません。
平成20年12月設置 東京都教育委員会
解説板の裏手に回りこんでいく。
一番手前にあった横穴墓は埋もれていた。
次のものはきれいに残っている。
格子の間から。
フラッシュで。
※閲覧注意(虫がだめな人は後ろ2枚をとばしてください)
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
後からPC画面で見てわかったカマドウマ。
ドーム形の天井を見ようと角度を変えて撮ったら沢山写っていた。
扉がなかったら知らずに入っていた可能性があった。開いてなくてよかった。
その左隣に2基。右側のものはほぼ埋もれていた。
一番左側の横穴墓。現地解説板からも想像はできたが、左から1~4号墓の順であることを下記の町田市のサイトで確認した。
https://www.city.machida.tokyo.jp/kanko/miru_aso/midokoro/midokoro_miwa.html
格子の間からズームで。
フラッシュで。 ※閲覧少し注意
「切妻妻入の小屋組構造の梁・桁・垂木などの浮き彫り」を確認したかったが、見下ろす角度だったので上部は撮れなかった。
カメラを構えると蚊がとまるので、少ない枚数で撤退した。
歩いてきた方向を振り返って。横穴墓は右手の崖下方向に向いている。
道はそのままぐるりと横穴墓の上を通って戻るようになっていた。
歩きやすい道だった。なお、この道は丘陵の南側にある、寺家ふるさと村(横浜市青葉区鴨志田町)へも続いているようだ。
来た道を戻っていると二股に分かれた。来た道とは異なる右手の道を行ってみた。
馬の背のような道を進む。
グーグルマップにあった「鶴川中継局」で行き止まり。もと来た道を帰った。