先日発売されたばかりの「古墳図鑑」(2022年8月1日発行)
副題は、訪れやすい全国の古墳300。
次はどこへ行こうか、考える時間が楽しいです。おすすめです!
この本に、東京からも近い伊豆の横穴墓が紹介されていたので行ってみました。
国指定史跡の北江間横穴群。
伊豆急行の韮山駅から徒歩34分の場所。
民家の間に「大師窟入口」の石碑。
前の道路はこのような感じ。北に徒歩15分の大北支群には駐車スペースがありました。
屋根の間を裏山へ。
すぐに穴が見えてきましたが、サイズが大きい!
説明板はありますが図が無いので、どれが何号墓は現地では分かりません。
国指定史跡 北江間横穴墓群(大師山)
昭和51年12月27日 国史跡指定文化財
十ヶの横穴により構成される古墳群で、この地域に発達する凝灰岩層をくり抜いて造られている2~3の小群に分けられ中の中心となる1、2、8号は規模も大きく構造にもそれぞれの特色がある。特に内部の石棺はくり抜き式の独立石棺(1号)横の方向に造り付けた家形石棺(2号)縦方向に左右平行に造り付けた石棺(8号)など多様であり又、水気を抜くため入口に排水溝の設けられたものもある。7世紀中頃から8世紀中頃までに造られたものと推定され規模の大きなこと、岩石の発掘や石棺の加工と運搬技術等の優れたものであり、当時極めて有力な政治的経済的地位にあった人が埋葬されたものと考えられる。副葬品は徳川初期に既に盗掘され、重要なものは紛失しているが昭和49年の調査の際、入口付近より出土した土器類は町資料館に保存されている。
この古墳群は北江間小山円墳群、同大北横穴群等と合わせこの地域古代史研究の重要資料になっている。
が、これが1号墓ということは明白。横穴墓に石棺とは!
天井高は1.8m以上。立ったまま余裕で入れます。
石棺の内部を。
奥壁を石棺の間を。
その間に立って、開口部を。
スマホ広角で。
石棺脇でしゃがんで。
おとなりの2号墓には、奥壁に平行した作り付けの棺身に屋根型の蓋が付きます。
広角で。
蓋に彫られた漢字は後世のものでしょう。
棺の内部。蓋の内刳りも写りました。
奥壁の上部を。側壁と違って平滑な仕上げ。
側壁(半円筒のトンネル型)の様子。
棺の前から振り返った開口部。
その隣の部屋は、カラでした。
横穴墓はその奥にも連なります。
1号墓方向を振り返って。
四角く掘られた部屋も。
さらにその先へ。
説明板にあった8号墓。
コの字形に、腰高ほどの棚が掘り残されています。
左右に棺としての窪みが。
奥壁に向かって左側。
右側。
奥壁を背にして。
奥壁を背に左側。
奥壁を背に右側。
10基しかない支群ですが、見応えがありました。
穴の前からの眺めは木々を透かして。
最初の階段のあたりから。正面は大男山(標高207m)
800mほど北東にもうひとつある大北支群は次回に。
大男山の北裾に北条(江間)義時の墓がある北條寺、山の向こう側の狩野川を挟んだ対岸には北條時政の墓がある願成就院などがあり、ここ(江間)はまさに鎌倉殿の13人のワールドでした。
この横穴墓(大師窟)にも、北条義時がお経を納めたという伝説があるそうです。