2022年4月末に参加した「まりこふんと行く世界遺産古市古墳群 古墳にコーフン!バスツアー」、最後の探訪地は仲津山古墳(仲津姫陵古墳)でした。
仲津姫は応神天皇の皇后、仁徳天皇の母。
が、仲津姫より先に亡くなった応神天皇の陵(5世紀前半)より築かれたのが前(4世紀後半)と見られていて、仲哀天皇(応神天皇の父)の陵との説もあるそうです。(ガイドブック「ザ・古墳群」より)
古室山古墳と前方部先端側を向き合わせるように、長軸を南西(前方部)ー北東(後円部)にして立地します。
前方部側の堤の中央に設けられた拝所。
ここでも古代人に墳装した、羽曳野市世界遺産・文化財総合管理室の吉澤室長の解説を受けました。ありがとうございました!
柵の向こうの様子。
一行はそこから前方部の左裾角へ回りました。
上記の位置から少し左にずれて。手前が前方部、奥が後円部方向です。
そこにあった解説板。
仲姫命陵(仲津山)古墳
藤井寺市沢田4丁目
時代:古墳時代中期前葉
墳丘の全長:290m
出土したもの:円筒埴輪、形象埴輪
墳丘は3段に築かれるが、最新の測量図では墳丘裾に近い位置に平坦面が認められ、4段築成を意図していた可能性があります。くびれ部の両側には造出しが設けられ、埋葬施設には石棺が用いられているとの伝承があります。
墳丘の周囲には幅の狭い急峻な斜面からなる濠が巡り、その外側を取り巻く幅の広い堤が本墳を特色付けています。堤には隙間なく円筒埴輪が並べられていました。堤からは形象埴輪も出土しています。
藤井寺市 平成28年3月
前方部先端側の直線部分。堤の端まで240mもあります。
ちなみに前方部幅は193m、後円部径170m・高さ26.2m。
全長290mは古市古墳群で第2位、全国でも9位の規模です。
その後、一行は仲津山古墳の南側に3基並ぶ方墳の北側の道を通って帰路につきました。
民家の右が助太山古墳、左が中山塚古墳。
標柱が遠い中山塚古墳。
集合住宅の右が中山塚古墳、左が八島塚古墳。
この集合住宅が建てられる前、その下から大きな修羅(巨石を運ぶ木製ソリ)が出土し、近つ飛鳥博物館に展示されています。長さ8.8m!
再び後日のセスナからの眺め。中央左が仲津山古墳。その右下(南)に方墳3基が見えています。(集合住宅の白い地面が、修羅が出たあたり)
大きな仲津山古墳ですが、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)は長さで1.5倍、面積で2.3倍、体積で3.4倍で、体積は全国一。