墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鍋塚古墳 大阪府藤井寺市沢田

市野山古墳(允恭天皇陵)をぐるっと一回りして土師の里駅に戻ってきました。

 

県道20号を渡った正面、土師の里駅のホームの向こうに見えるのが鍋塚古墳。

 

土師の里駅前からは国道170号の向こうに見えます。背後の濃い緑は仲津山古墳。

古市古墳群の玄関口にあたる場所ですね。

 

道路を渡って墳丘のそばへ。古市古墳群で貴重な「上がれる古墳」です。

 

現状は一辺40m、復元長は63mの方墳でした。

鍋塚古墳
国史跡 1956年9月22日指定
藤井寺市沢田
時代:古墳時代 中期前葉
古墳の形:方墳、2段築成
墳丘の長さ:63m
出土したもの:円筒埴輪、家・盾・靫などの形象埴輪
仲姫命陵(仲津山古墳)の陪塚で、墳丘の一部が仲姫命陵古墳後円部の北側の堤にのるような位置にあります。現状は一辺40m前後ですが、周辺の調査成果から一辺63mに復元することができます。仲姫命陵古墳の埴輪に近い特徴があります。
藤井寺市 平成31年3月

 

いざ墳頂へ。

 

墳頂から南西方向には、真正面に仲津山古墳の後円部がそびえます。鍋塚古墳の墳丘は仲津山古墳の外堤に食い込むように造られているとのこと。築造時期も同じ4世紀末頃と考えられるそうです(「古市古墳群を歩く」より)

 

少し左を向いた南方向。中央左奥の木立が八島塚古墳、右が中山塚古墳だと思います。

 

振り返った北西方向。マンションの後ろに市野山古墳(允恭天皇陵)、右が土師の里駅。


そこから右に視線を移した東方向。

鍋塚古墳は、元は前の道路の向こうまで方墳の角が延びていたようです。

 

グーグルアースで。

右上の市野山古墳から鍋塚古墳を経て左下の仲津山古墳、その先の小室山古墳~大鳥塚古墳~誉田丸山古墳~誉田御廟山古墳と連なる、古市古墳群の主稜線上の立地です。

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