墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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北江間横穴群(大北支群) 静岡県伊豆の国市北江間

北江間横穴群の大北支群は、前回の大師山支群の800mほど北東にあります。

地図を見ると、この山塊(大平山~大嵐山)の裾には、他に10箇所以上横穴墓のピンが立っており、非常に集中していることがわかります。

(グーグルマップのクチコミを見ると難易度高そうですが)

 

大北支群へは近くまで車で入れます。

 

坂を上がったところに数台停められるスペースが。

 

そこに立つ説明板。ここだけで40基以上。

国指定史跡 北江間横穴墓群(大北)
凝灰岩の山体に作られた40数基よりなる基群で、大きく3群にわかれ、それぞれがさらにいくつかの小群にわかれる。この構成は家長を中心とする大家族集団のすがたも考えられる。
横穴の形、構造、工法、埋蔵物にも群や位置による個性が見られ、最上部(西側)には特に巨大なものがあり奥行6.7mに及ぶもの(3号)又奥壁に接し高さ1mに近い作り付けの石棺のあるもの(2号)がある。その他、入口の前方に掘り下げられた見事な床(墓前域や墓道)のあるものも多く、特に32号はよくととのっている。この墓群は7世紀後半より8世紀中頃まで営まれたもので、土葬から火葬に移る時代の姿をよくあらわしていることは、横穴の構造や石櫃の存在とそのおかれた様相から知ることができる。
火葬骨を納めた石櫃も各種形式のものが多数出上し、その数の多い点でも全国的に珍しいといわれる。特に2・4号のものは前面に「若舎人」の文字が刻まれており、この例は全国で只一つのものであり金石文
(石や金属に字を刻んだもの)としては本県最古のものである。また火葬骨専用と思われるきわめて小型の横穴(縦横10㎝奥行30㎝内外)の存在も珍しく、全国的に特色のある横穴群であるといわれている。

 

地質からの解説。

横穴群にみる海底火山のなごり

北伊豆一体には、斜面を横方向に掘って作られた「横穴墓」が分布しています。7世紀の中頃から作られ始めたこれらの横穴墓は、簡単な道具でも掘ることができる地層の中に多く作られています。
北江間横穴墓群をはじめとする狩野川左岸側の横穴墓の多くは、数百万年前、伊豆が本州に衝突する前に海底につもった火山灰や軽石の地層の中に作られており、壁面には海底につもった際の縞模様などがそのまま残っています。このような掘削しやすい地層は石材としても用いられてきました。伊豆石と呼ばれるこの石材は、韮山反射炉など、多くの場所で使われています。
一方、柏谷横穴群など、狩野川の右岸側に分布する横穴墓は、箱根火山(数十万年前以降)の火砕流堆積物などの中に多く作られています。掘りやすさだけで横穴墓の分布が決まるわけではありませんが、横穴群の分布から、大地のなりたちの一端を知ることができます。
設置・管理者:伊豆の国市観光課
監修:伊豆半島ジオパーク推進協議会

 

掘削しやすい伊豆石が露頭していることも、横穴墓が多い理由かも知れないですね。

人の手で掘っていくのは大変だと思いますが…

 

ここは上に何層も。

 

さらに園路を上がります。

 

壮観です。多くが開口部を四角く掘っています。

 

もとは閉塞されていたのでしょうが、穴だらけ。

 

奥の部分が一辺10数㎝のミニサイズも。

説明板で火葬後の石櫃を納めたものと知りましたが、この小ささも初めて見たので驚きました。

 

こちらは泊まれそうなサイズ。開口部の前に墓道(排水路?)が掘り下げられています。

 

内部の壁や天井は、台形に近いアーチ型。

 

側壁に残る掘り跡。

 

奥壁を背にして。

 

折り返して登った最奥部。

 

鉄の柵があるものも。

 

内部には石櫃が納められていました。

 

石櫃は火葬骨をおさめたもので、大北横穴群24号横穴でみつかった石櫃(8世紀)には「若舎人」と金石文が刻まれており、重要文化財指定を受けています。

 

下記のサイトによれば、現地にも金石文のあるの石櫃レプリカがあり、実物は伊豆の国市役所横の「あやめ会館」の1階に展示されているそうです。

https://tabi-mag.jp/sz610/

 

下の写真の左下がそのレプリカ石櫃だったようですが、スルーしてしまいました。


古墳の場合も墳丘築造が廃れる直前には火葬後の埋葬があったと思いますが(野口王墓)、横穴墓でも8世紀までは火葬後に石櫃が埋葬され続けたというのが興味深いと思いました。

 

平野部に出て振り返った、横穴群のある山塊。