京浜東北線で大井町ー品川間を通るたびに車窓から気になっていた重厚な赤煉瓦建物。
ちょっと検索したところでは詳細がわからなかった。竣工は大正4年説と大正11年説があるようだが、どちらにしても関東大震災に耐えた煉瓦建物。
下記の方のブログには、現在(株)東日本鉄道整備の山手事業所で鉄道の清掃をする会社の清掃員詰所として使われているようだ、とあった。
だいたいの場所であたりをつけて歩いてみた。
スタート地点はなんども書かせていただいた大崎の百反歩道橋。
その東の降り口から、山手線の南側の第一三共などが建つ工場地帯の方へ、しばらく進むと京浜東北線・東海道線のガード(碑文谷架道橋)があった。
ここをくぐると赤煉瓦建物と反対側に出てしまうので、手前を右折。
(実はこの先、目の前に別の煉瓦建物・日本ペイント明治記念館があったが、この時は目に入らなかった。別のエントリで)
現在の大井町変電所の脇を進む。
どん詰まりの門の先に煉瓦建物が見えた。
ここからは入れないのでズームで。
それなら、建物を線路の対岸(冒頭の写真の場所)から眺めようと思い、元きたガード下をくぐって線路沿いの細道へ。
ひっそりと「鉄路犠牲者供養塔」があった。合掌。
その先が階段になっているところで赤煉瓦建物が見えてきた。
線路沿いの柵越しに建物を見学できるポイントがあった。
道の脇には見学用(?)の椅子が置かれていた。
窓上のアーチが美しい。
さきほどズームで見た北面部分。
南側は蔦で覆われていた。
丘の上の細道をさらに南へ。左は浅間台小学校。
東京総合車両センターは西から続く武蔵野段丘を人工的に削って出来た土地にある。(京浜東北線の車窓から多数の引込み線が見えるが、その地下も車両基地になっている)
下記の方のブログに「東京の鉄道ネットワークはこうつくられた」(高松良晴著・交通新聞社新書)という本からの引用で、大井工場は1910年(明治43年)に品川の高台8万9000坪を切り崩して建てられ、切り崩した土で品川駅構内が埋立拡張が行なわれた、という内容が紹介されていた。
東京の鉄道ネットワークは こうつくられた (交通新聞社新書)
- 作者: 高松良晴
- 出版社/メーカー: 交通新聞社
- 発売日: 2015/06/15
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赤煉瓦建物を見下ろせるこのちょっとした高台は、もしかしたら西品川一丁目の高台とつながっていたかも知れない、と想像を廻らせた。
西品川一丁目再開発(2015年9月初旬) - 墳丘からの眺め
蔦に覆われた建物南面。
結構な蔦だが、建物がしっかり現役で使われていることが遠めにもわかった。
こちら側の細道は、そのまま大井町駅へと続いていた。左の建物は”新しい”建物だが、レンガタイルは線路の対岸を意識したのか・・・
非常に魅力的な小路もある。
線路の西側、煉瓦建物のあるほうにも道が見えたが職員専用通路だった。
大井町駅から専用通路への通路は「四季劇場・夏」入口への通路と共用だったが、一般は劇場から先へは入れなかった。
四季劇場の前から東急大井町線の高架を見たところ。ちょうど日が沈む時刻だった。
右奥にはJR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)の巨大な廃虚 が前と変わりない状態で建っていた。