墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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松林山古墳(御厨古墳群) 静岡県磐田市新貝

前回のつづき。

遠江国分寺跡から東に3km強、太田川右岸の台地上に国指定史跡の御厨(みくりや)古墳群がある。 

新幹線の高架を渡った先、磐田市立神明中学校の柵の前に案内板があった。 

 

周辺の遺跡や寺院も記された案内板。台地の南裾には、磐田市内最古の弥生土器が出土し、奈良時代に建立された寺院跡も存在する「鎌田・鍬影遺跡」が広がっている。

古墳群はその北側の台地上に築かれている。

文化財の道しるべ(古墳関連部分)
御厨(みくりや)古墳群
御厨地区には市内最古の大型古墳が集中しています。昭和6年に発掘された松林山古墳は、大和の王権と強い結びつきがあったと考えられています。平成13年3月に松林山古墳など5基の古墳が国の史跡に指定されました。
松林山古墳:前方後円墳、全長107m・高さ10.6m、三角縁神獣鏡ほか出土
高根山古墳:円墳、直径52m・高さ8m、壺形埴輪ほか出土
御厨堂山古墳:前方後円墳、全長34.5m・高さ4m、鏡・大刀ほか出土
稲荷山古墳:前方後円墳、全長46.5m・高さ6m、壺形埴輪出土
秋葉山古墳:円墳、長軸50m・短軸46m・高さ8m、土器出土

 

道路を挟んだ向かいが松林山古墳。 

 

後円部への入口脇にも説明板。

 

4世紀後半とは古い。そして全長107mは大きい。

松林山古墳(しょうりんざんこふん)
前方後円墳、全長107m、後円部径66.5m、高さ10.6m
昭和6年(1931)に発掘調査が行われ、長大な割石積みの竪穴式石室から、三角縁神獣鏡1面・内行花文鏡2面・四獣鏡1面・勾玉・管玉・石釧・貝釧などの宝器、剣・直刀・鉄鏃・銅鏃・短甲などの武具・武器類、斧・鎌・鋸などの農工具類が多数発見されました。
後円部は3段に盛土がされ、古墳の表面には葺石や埴輪が巡らされていました。4世紀後半に造られた、東海地方を代表する古墳で、国指定史跡 御厨古墳群の1つです。

高根山古墳
円墳、直径52m、高さ8m
県内では3番目に大きい円墳です。2段に盛土がされ、表面には葺石や埴輪、壺形埴輪が巡らされていました。国指定史跡 御厨古墳群の1つで、4世紀末に造られました。
平成29年3月 磐田市教育委員会文化財課

 

後円部への道は鬱蒼としていた。

 

墳頂には達筆の古墳慰霊碑。

 

と、観音像があった。

 

上野の東博・考古室には、ここから出土した大きな貝釧(かいくしろ:腕輪)が常設で展示されている(上の2つ)

 

三角縁神獣鏡(のレプリカ)も。

 

東博のパネル展示を見ると、静岡県の浜名湖から御前崎にかけてのエリアは、三角縁神獣鏡が出土する古墳の集中地帯のひとつであることがわかる。

 

再び現地から。

後円部墳頂の周囲は草木が密生して眺望は無かった。

 

道路側へ戻って前方部へ向かった。

 

前方部・くびれ部あたりから後円部。連絡路は無し。

 

すぐ北側は新幹線。

 

くびれ部から前方部端の方向。

 

もとは線路の向こう側まで同じ高さだったものが、切り通しで削られてしまっていた。

WEB上に磐田市教育委員会文化財課による古墳のパンフ「御厨古墳群」があるが、そこにある測量図をみると前方部左肩から右裾まで袈裟懸けに切られたように削られている。

それでも昭和6年の発掘調査で後円部の埋葬施設(粘土槨に包まれた竪穴式石室)が発見され、貴重な副葬品が残っていたのは幸いだった。

https://www.lib-iwata-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2016/08/bmikuriya.pdf

 

「全国遺跡総覧報告」にて当時の興奮も伝わってくる調査報告書を読むことができる。

http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/12564

 

前方部を通り過ぎる新幹線。

ちなみに左の小山には御厨古墳群中の秋葉山古墳・稲荷山古墳が残っている。

さらに、新幹線の先頭のあたりにもかつては経塚古墳(全長約90mの前方後円墳)があったが、こちらは明治時代に東海道線工事で破壊された。工事の際に三角縁神獣鏡が出土している(上記の御厨古墳群パンフより)

 

冒頭の案内板にあったマップ。経塚古墳は不幸にも東海道線ルート上にあった。

 

松林山古墳を前方部右裾から。木立の部分が後円部。

 

前方部上の先端から後円部。