墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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川合次郎兵衛塚1号墳 岐阜県可児市川合

「前波の三ツ塚」見学後は北西に1.7㎞、木曽川近くに立地する川合次郎兵衛塚1号墳へ。今回の墳行の主目的地でもありました。

 

墳名も独特ですが、姿も強烈です。


詳細な説明板。一辺30mほどの方墳で、3つの石室を持ちます。

岐阜県史跡 川合次郎兵衛塚1号墳
規模:下段の一辺29.5m・高さ約7m、上段の一辺17.6m、平坦面の幅4~5m 
主室:全長15.5m(西副室増築後17.4m)複室構造、玄室幅2.1m・玄室高2.6m、擬似両袖式の玄門
西副室:全長7.1m・玄室長2.9m・玄室幅1.1m
東副室:全長1.7m・玄室長1.1m・玄室幅0.8m 

 

発掘調査と保存整備 

この地区で行われた区画整理事業に先立ち、平成2年4月から3年12月にかけて、この周辺一帯の約30,000㎡を発掘調査しました。この調査により、古墳が13基、縄文時代から奈良時代にかけての住居跡が約150軒など、たくさんの遺構や遺物が発見されました。 
そのうち、古墳の中で最も規模が大きく、保存状態の良かったこの次郎兵衛塚1号墳が、地元の皆様のご理解により保存整備できました。 
また、発掘調査の成果や出土遺物などは、隣接の考古資料館で紹介しています。 

平成3年度 保存整備工事の設計 
平成4年度 土地の公有化、整備工事着工
平成5年7月10日 整備工事完了 
平成6年6月1日 市史跡指定 
平成7年6月23日 県史跡指定
平成10年4月1日 川合考古資料館(川合公民館)開館  

保存整備工事では、当時の石積みをできる限りそのままにして補強し、崩れてい た部分は昔の姿に積み直しました。

 

古墳の概要と特徴 
川合地区は可児地域の首長墳造営地でした。木曽川の低位段丘上に32基以上の古墳が存在していました。昭和4年には60基あったとも記録されています。また、次郎兵衛塚1号墳と同時期に、少なくとも10基以上の古墳があったことも判明しました。 
この次郎兵衛塚1号墳は、古墳時代の終わり頃(7世紀の初め頃)に築かれた、大型の方墳です。川原石を積み上げて2段に築かれており、平らな部分にも小さな石が敷かれています。頂上部以外で目につくものは川原石ばかりで、その姿は見る人を威圧するかのようです。周濠も人の近寄りを拒んでいます。 
この古墳には3つの横穴式石室が発見されました。中央には2部屋に区切られた巨大な主室、向かって左側に西副室、右上に東副室が見えます。さほどの時期差はありませんが、2つの副室は後で増築されています。また、主室は2回以上の埋葬が行われ、主室の一番奥には石棺が置かれていたようです。
3つの石室は荒らされてはいましたが、副葬品としての須恵器や鉄器、装身具類などが多数見つかっています。東副室の外回りには、60個を超える大小の須恵器がびっしりと供えられていました。子供用に増築されたとみられる東副室の、手厚い。埋葬を物語っています。

 

大型方墳の持つ意味 
この古墳は、方墳としては県下で最大級の規模を誇ります。 
古墳時代にはその初め(3世紀後半頃)から、天王(おおきみ)をはじめ中央や地方の首長のお墓は前方後円(方)墳と決まっていましたが、6世紀の後半頃になると、中央ではこれに代わって方墳が築かれ始めます。 
この変化は、岐阜県内でも同じ状況を示しており、6世紀の終わり頃から7世紀の前半頃にかけて、各地の首長墓として大型の方墳が築かれています。この時期、民衆の間でも普通に古墳が築造されるようになりましたが、その中にあってこれらは群を抜いた規模を誇っています。 
以下に掲げた大型方墳の分布から、岐阜県内がいくつかの地域に分けられて統治 されていたことが推定できます。 

可児地域…次郎兵衛塚1号墳 
加茂地域…井高1号墳、火塚1号墳 
土岐地域…乙塚古墳 
武儀地域…池尻大塚古墳、小瀬古墳、殿岡1号墳 
各務地域…鵜沼西町古墳 
飛騨地域…大洞平2号墳、大洞平5号墳、海具江古墳 
不破地域…南大塚古墳

平成26年 可児市教育委員会

 

南からは3つの開口部が並びます。

 

まずは、主室へ。大量の川原石に圧倒されます。

 

説明板の「発掘調査終了時の写真」部分を見れば、これらは墳丘表面を覆っている「葺石」で積み石塚ではない(中身が土)であることがわかりますが、現場では中まで石が詰まっているような感じがしました。

 

主室の中を格子越しに。


玄門上の楣石が割れていて、鉄骨で補強されています。


前室の左側壁

 

右を。側壁には大き目の石が積まれていますが、どれも丸みがあります。

 

開口部上部の様子。


開口部を背にして。


主室のすぐ西隣では築造当時の葺石が見られるようになっています。

 

そのとなりに「西副室」、主室より一段低い場所にあります。

 

格子越しに。ここも灯りがつきました。

 

奥壁にも漬物石のような丸っこい石が沢山使われています。


床面にも。

 

南西角から。

 

北西角から。

 

北東角から。

 

墳丘東側は、道路で削られているようですね。

 

説明板の実測図部分。主室の開口部は南辺の真ん中にあることがわかります。

 

現在は東(右)側に道路が。

 

道路から見た「東副室」の側面。

 

東副室の内部。幅が80㎝なので高さは50㎝程度でしょう。

 

「2つの副室は後で増築」とのことですが、こんな形で付け加えることもあったのですね。

2024年12月上旬訪問