川合次郎兵衛塚1号墳見学後は隣接する川合考古資料館を訪ねました。
資料館は「川合地区センター」内にあります。

来館者があると照明がつく仕様。

一時的な眠りからさめた展示室。

まずは「鳥つまみ蓋つき須恵器」に目を惹かれました。宮之脇11号墳からの出土品。

中央の蓋の上には三世代?

その周囲4カ所にも外向きに。全部で7羽、ゴージャスです。



可児市のサイトにも解説あり。
宮之脇11号墳からの、その他の出土品。須恵質埴輪もあります。

宮之脇11号墳は直径16mの造り出しのある円墳で、周囲を濠に囲まれた古墳時代の古墳です。
古墳の墳丘部分は、全て削られて無くなっていましたが、周濠からは6世紀から7世紀後半にかけての約200年間にわたる遺物がたくさん出土しました。
出土品には、鳥つまみ蓋付須恵器をはじめ、土師器・須恵器・須恵質埴輪・鉄器などがあります。
また、まつりごとに使った小さな「手づくね土器」もたくさん出土しました。
このことから、この古墳に葬られた人が、長い世代にわたってお祀りをされる特別な「人物」でらったことが想像されます。
すでに墳丘を失っていた宮之脇11号墳ですが、こちらの立体マップでは、木曽川沿いの青木神社のあたりに「宮之脇遺跡」の位置が示されていました。資料館から300mほど北西ですね。

こちらの奥には石壁が。

稲荷塚1号墳の石室復元とあります。

精巧に復元されています。

副葬品もひとつひとつ丁寧に。

稲荷塚1号墳は、さきほどの立体マップでは資料館から北に150mほどの場所ですね。

稲荷塚1号墳は、6世紀末から7世紀初めごろに築かれた寄り添う3つの古墳の中の一つで、河原石を使った葺石を丁寧に3段に積み上げてつくった、直径約21.5m、高さ約4mの円墳です。
この古墳は、天井の石も含め石室が完全な形で発掘され、石室内からは、最後の埋葬がおこなわれてときの状態で須恵器や土師器、鉄器、玉類が見つかりました。
鉄器では、銀で飾られた直刀のほか、刀子や鉾、手斧、鉄鏃があり、玉類には勾玉やガラス玉など当時の装身具がたくさん副葬されていました。
古墳の環境や遺物からみると、埋葬された人は、川合地区の長と考えられ、次郎兵衛塚1号墳に葬られた人に仕えて、重要な役割を果たしてきた人物であるとも考えられます。
そしてこちらが次郎兵衛塚1号墳の出土品。

東副室の内外の出土品です。

さきほど見たあのサイズを思うと、まさにお子さんのような気がしますね。

子どもへの豊富なささげもの
(次郎兵衛塚1号墳 東副室)
次郎兵衛塚1号墳は、古墳時代後期7世紀初めごろに築かれた可児地域の首長墳です。
一辺が約29.5m、高さ約7mで2段に築かれ、全面を河原石で覆った、岐阜県下最大級の方墳です。
遺体を埋葬した部屋は、全長15.5mで最奥部に石棺が置かれた長大な主室とその両側に西副室と東副室の三か所がつくられていました。
なかでも、東副室は奥行きが約1.7mしかなく、その大きさから推定すると、子どもを埋葬したものと考えられます。
遺物は、石室内からミニチュアの鉄器と須恵器、石室の外まわりから約60個の須恵器がそれぞれほぼ置かれたときの状態で出土しました。
このことから、埋葬された子どもは、とても手厚く葬られたようすがうかがえ、首長の子ども、あるいは孫にあたる子どもであったと考えられます。
そのほかにも、次郎兵衛塚1~5号、稲荷塚2,3号からの出土品。

縄文土器のコーナーも。

ドングリのアク抜きなどに使われた”キャリバー形”の深鉢。

加曾利式の土器も出ていたのですね。

2024年12月上旬訪問