前回の身隠山古墳群からは可児川を挟んだ北側の長塚古墳周辺へ向かいました。
グーグルナビで長塚古墳へ誘導されて、墳丘の西端に到着。

初めは円墳かと思いきや

上がったところは前方部先端で、東へ後円部が続いていました。嬉しい驚き。

くびれ部あたりから後円部を。美しく残る墳丘です。

草が刈られた後円部墳頂。

前方部方向を振り返って。

樹林で、眺望はあまり得られず。

後円部南裾に説明板が見えました。

後円部斜面から、くびれ部あたりを。

くびれ部裾の屈曲を。

その、裾には大きな石柱。

引いた位置から。

さらに引いた位置からパノラマで。広いスペースが確保されているので、前方後円墳の形をしっかり味わえます。

後円部裾の説明板。

長塚古墳は、全長72m、周濠を含む主軸長は112mになる、前方後円墳です。

国指定史跡 長塚古墳
昭和31年5月15日 国史跡指定
平成15年8月27日 国史跡追加指定前方後円墳
3世紀後半から7世紀に至る古墳時代、全国で膨大な数の古墳が築かれました。その中で目を見張る規模であり続けたのが、首長墓とされる前方後円墳です。特に古墳時代の前半では、首長墓の隔絶性が歴然としています。その分布状況からは、美濃地方の中に大小の領域をいくつか推定することもできます。その一つが可児を中心とする木曽川中流域左岸の地域です。前波の三ツ塚
この「可児地域」では、前波(可児市中恵土)と伏見(御嵩町)にいくつもの首長墓が確認できます。ここ前波地区に立地する三基の大型古墳は、総称して「前波の三ツ塚」と呼ばれ、古墳時代前期(4世紀)の中で、西寺山古墳(前方後方墳)→野中古墳(前方後円墳)→長塚古墳(前方後円墳)の順に築造されたと考えられます。東濃地方を中心としえ活躍した首長の基盤が、当所付近にあったことがうかがえます。長塚古墳
長塚古墳は、前波の三ツ塚の中で最も大きな古墳である、加茂郡以東、東濃地方では最大の古墳です。昭和35年と61年の測量調査、平成7~9年の発掘調査等により、その概要が判明し、古墳時代前期後半(4世紀後半)に造られた二段築成の前方後円墳と分かりました。また、葺石や埴輪は見つかっておらず、周囲には周濠が巡りますが、深く水をたたえるものではなかったと思われます。埋葬施設
後円部と前方部には、それぞれ一つずつの埋葬施設があります。後円部には、羽子板形の墓壙の中に木棺を包み込んだ粘土槨(長さ7.4m)があり、粘土槨の表面は、竪杵のようなもので突き固められていました。中の様子は未調査です。前方部にある埋葬施設も長さ7.1mと長大で、その中に割竹形もしくは舟底形の木棺が埋葬されていたようです。棺床には赤色顔料が撒かれており、棺内から捩文鏡1面、石釧、管玉、ガラス玉などが多数出土しました。墳丘長約72.0m、後円部径38.4m・後円部高6.9m、くびれ部幅18.5m、前方部長35.8m・前方部幅28.5m・前方部高4.7m、周濠を含む主軸長約115m
平成26年 可児市教育委員会
実測図部分。

副葬品や粘土槨の写真も。

ネット上には、きれいな画像が載った解説も。
https://www.city.kani.lg.jp/secure/10134/kunisiseki_nagatuka_ippan.pdf
後円部側から、南側面の全貌を。

今度は前方部側から。

説明板には「前波の三ツ塚」のもう2基の図も。

南西方向、県道の向こうに墳丘らしい木立が見えていたので、もちろん行ってみます。

県道を渡って振り返った長塚古墳。

次回につづく。
2024年12月上旬訪問