前回の熊野古墳からは北北東に400mほどの身隠山古墳群へ。
東から延びる舌状台地の先端周縁が、歴史と文化の森として整備されています。台地上は「広眺ヶ丘」「羽生ヶ丘」という住宅街。

駐車場に停めて道路を渡って丘上へ。振り返った先とは、以前は橋が架けられていたそうです。

さらに階段を上がります。

ここも紅葉がなかなか見事でした。

さらに上ると目の前に墳丘が。

上記の墳丘に向かった立っていた説明板。

岐阜県指定史跡 身隠山古墳群
岐史第42号 昭和32年3月25日指定
身隠山古墳群は2基の円墳からなり、それぞれ古墳上に祀られていた神社の名から「身隠山御嶽古墳」「身隠山白山古墳」と呼ばれている。この身隠山の丘陵上には他にもいくつかの古墳があったというが、今はその影も見当たらない。身隠山御嶽古墳(みかくしやまおんたけこふん)
本丘陵の北端に位置し、貯水槽の建設で地形が変わってはいるが、直径約36m、高さ約4.5mを測る二段築成の円墳とみられる。
埋葬主体は竪穴系のものであり、江戸時代後期の天保9年と安政5年、明治4年に古墳時代前期(4世紀後半)の特徴をよく示す多数の副葬品が発見されている。現存不明のものも含めれば、その概要は次のとおりである。
内行花文鏡2面、四獣形鏡1面、勾玉2個、管玉132個、小玉178個、石釧2個、刀剣類、土師器、朱身隠山白山古墳(みかくしやまはくさんこふん)
南側に位置する本古墳は、直径約42m、高さ約4.5mを測り、やはり二段築成とみられる大型の円墳である。
埋葬主体は、岩盤を長方形に掘り窪めた墓壙の底に円礫を粘土を敷き、木棺を安置していたようである。明治35年に、この部分から多数の副葬品が発見されており、古墳時代前期の築造が判明している。その概要は次のとおりである。
内行花文鏡1面、だ龍鏡1面、鍬形石4個、車輪石1個、石製模造剣1本、石製紡錘車1個、三輪玉様石製品1個、筒型石製品1個、刀剣類数本、鉄斧2個、巴形銅器2個、朱平成14年3月 可児市教育委員会
実測図部分。説明板の位置を示していただけるとありがたいです。

駐車場にあったマップには下記の記載だったので、ちょっと混乱しました。

途中から正面に見えていた、説明板が向く方の墳丘上の様子。腰丈ほどの草むらです。
上ったときはここが白山古墳と勘違いしていました。

のぼってきた小径を振り返って。

実際には上記の左の丘が、白山古墳でした。
グーグルマップがわかりやすいですね。
ただ現地では、最初に見た公園マップの先入観があったのと、スマホでの現在地が「うつろって」しまっていたのでいまいち自信が持てずにいました。
その、白山古墳の麓には大きな石碑が立っており、そこには「御陵山古墳」と。

「御陵山古墳」の石碑が立つ、「身隠山白山古墳」から見る「身隠山御嶽古墳」

白山古墳の墳頂の様子。

岩盤の露出箇所あり。

白山古墳を降りて御嶽古墳を回り込むと、階段がありましたがこちらは草が深く上までは上がれず。

さらに回り込むと白い標柱が。

そこに「身隠山御嶽古墳」の表記。

その上には小さな石の祠。

上がったところも草むらで、貯水槽施設の跡(?)があります。

あらためて説明板の実測図部分を見ると、御嶽古墳の現状の平面形は四角が二つ角でつながった形に改変されて残っていることがわかりますね(もとは円墳だそうですが)
今、ブログに書いていて、やっと全体像がわかりました。
その後も、公園案内図にあった「展望台」を探して谷に迷い込み。

ながらも、そのおかげで紅葉をしっかり味わった、としましょう。

いい季節に行けました。

岐阜県や可児市のサイトを事前に見ていれば、迷うことは無かったですね。
身隠山古墳[みかくしやまこふん](可児市) - 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)
ぺんさんは園内で別の墳丘も撮られています。
身隠山白山古墳-身隠山御嶽古墳-身隠山古墳群1【岐阜県可児市】 - ぺんの古墳探訪記
2024年12月上旬訪問