墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東之宮古墳 愛知県犬山市犬山北白山平

6月5日の朝。

前日の夜に各務原市役所に近いビジネスホテルに泊まり、午後には岐阜市岩崎での「まいまい東海ツアー」に参加しましたが、それまでにいくつかの古墳を巡りました。

東へ向かって木曽川を渡り、まずは愛知県犬山市の東之宮古墳へ。

 

山の上の成田山大聖寺の駐車場脇に、古墳見学者用(?)の駐車スペースも2台分あります。

 

墳丘は、ここから数分登った山頂にあります。

史跡 東之宮古墳
現在地より徒歩約8分
東之宮古墳は白山平山頂(標高144m)の場所に3世紀後半から4世紀初めにつくられた古墳(前方後方墳)です。
古墳内には、この地域の王様が眠る石の部屋があり、それは竪穴式石室と呼ばれ、長さ4.93m、幅1mの大きさです。
国の大切な遺跡として、史跡に指定されています。

 

少し上ると西に犬山城。右は木曽川です。


園路沿いは、チャートの斜面。

 

地球のパワーを感じます。

 

園路で切り通したので見学しやすくなっています。

 

ほどなく墳丘裾に到着。前方後方墳のくびれ部に東之宮社が入り込んでいます。

 

元は犬山城天守付近にあったものを、築城時に遷座したとのこと。

 

社のそばにあった詳しい説明板。

史跡 東之宮古墳
東之宮古墳は濃尾平野を望む、白山平山(はくさんびらやま)の頂上に築かれた前方後方墳です。古墳の大きさは全長72m、後方部は幅49m・高さ9m、前方部は幅43m・高さ7mです。
昭和48年8月の発掘調査により、後方部の墳頂部に竪穴式石槨が確認されました。石槨は木棺を置いた粘土床の周囲に板石を積んで四壁をつくり、その上を天井石で覆ったもので、長さ4.9m、幅1m前後で、粘土床と壁には赤色顔料が塗られていました。
石槨内からは、銅鏡11面(人物禽獣文鏡4面、中国鏡1面、三角縁神獣鏡4面など)、鉄製武器・工具など豊富な品物が出土し、前期古墳の代表的な副葬品として昭和53年に重要文化財に指定されていて、現在京都国立博物館が所蔵しています。
この古墳は、濃尾平野の古墳時代を知るうえで欠くことのできない貴重なものであることから、昭和53年7月19日文部省から史跡に指定されました。
平成17~19年度の範囲確認調査では、墳丘の形状や葺石の特徴、山頂部を広く削って平坦面をつくり、盛土で墳丘を構築している状況が確かめられました。平成22年2月22日に平坦面もふくめた範囲が史跡として追加指定されました。また平成23・24年度の史跡整備にともなう竪穴式石槨の再調査により、その構造が詳しく調査されました。
この古墳の年代は、副葬品の組み合わせや埋葬施設の特徴、墳丘から出土した土器により、3世紀後半から4世紀初めと位置付けられます。東海地方の古い段階の古墳を代表する古墳です。
良好に残された古墳や周囲の景観を後世に伝え、この地域の古墳時代の歴史的意義を学ぶ場として、平成28年度から令和2年度にかけて史跡整備を実施しました。
令和3年3月 犬山市教育委員会

 

墳丘の南裾(後方部の角) 裾を一周できるように園路が整備されています。


こちらの解説は「基本情報」

東之宮古墳の歴史的意義
東之宮古墳は、濃尾平野を一望できる絶好の地に築かれた前方後方墳です。白山平山の山頂部を平らに削り、その上に盛土し、高さのある墳丘をつくりあげています。古墳の表面は大量の葺石で覆われていました。後方部の頂には竪穴式石槨という埋葬施設があり、11面もの多数の同鏡や玉類、各種の石製品、大量の鉄製武器工具など、きわめて豊富な副葬品が納められていました。副葬品の中には、東海地域で見られる人物禽獣文鏡など特色ある製品が含まれています。
近畿地方のヤマト王権を中心に広まった前方後円墳に対し、前方後方墳は東日本で発達した墳墓形式です。1700年の時を経て良好な状態で保存されてきた本古墳は、古墳時代の成立と東日本の勢力が果たした役割を研究する上で、一級の学術資料です。
名称:東之宮古墳
築造年代:3世紀後半~4世紀初頭
墳形:前方後方墳
古墳の規模:全長72m(基底石基準67m)
前方部長24m、前方部幅43m、前方部高7m
後方部長48m、後方部幅49m、後方部高9m
古墳のつくり:後方部は2段築成、葺石が葺かれていた
埋葬施設:竪穴式石槨 木棺
副葬品:銅鏡11面、勾玉等玉類141点、鍬形石・車輪石・石釧・合子等石製品7点、武器・工具・Y字形製品等鉄製品58点 以上重要文化財
立地:木曽川脇の白山平山の頂上(標高143m)に立地
史跡指定日:昭和50年(1975)7月19日
追加:平成22年(2010)2月22日
史跡指定面積:8,442.29㎡
管理団体:犬山市

令和3年2月作成 犬山市教育委員会

 

今は埋め戻されている竪穴式石槨の写真も。

 

後方部を反対側にまわると、副葬品等のパネルも。

 

ちらりと見えた墳丘。

 

東之宮社の脇に踏み跡をたどって墳丘に上がらせていただきました。

鞍部のあたりに上がって振り返って。

 

まずは前方部へ。

 

前方部墳頂です。


ちらりと木曽川が。

 

ズームで。

築造当時、葺石に覆われた墳丘は、木曽川からよーく見えたでしょう。

前方部から後方部を。南東方向を向いています。

 

稜線をわたって、いよいよ後方部墳頂へ。

 

墳頂の様子です。

 

木々の向こうに広がる濃尾平野。

 

東側も視界は開けませんが、独立丘陵であることはよくわかりました。


再び園路を下って、駐車場のあたりから北西方向を。

 

木曽川の向こうが岐阜県。

 

名鉄の鉄橋をそばから。

 

その近くでは「うかい」の乗船場があります。10年以上前(古墳に興味を持つ前)に家族で乗りました。

 

 

東之宮古墳は大塚初重先生監修のこちらの本で、「昭和という近代に盗掘を受けた前方後方墳」として紹介されていました。

1973年にあった盗掘事件をきっかけに調査された古墳とのこと。

大人の探検 古墳