墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

金崎古墳群(1~5号墳) 島根県松江市西川津町

鹿島町の古墳を見た後は、松江市街の北東側の朝酌川沿いの古墳を幾つか巡りました。

最初に島根大学の東側の丘上住宅地に残る金崎(きんざき)古墳群

 

夢ヶ丘という住宅地です。


まずは3基が残る中央部へ。


国指定史跡です。1号墳が前方後方墳、2・3号墳が方墳です。

国指定史跡 金崎古墳群
この古墳群は昭和18年、分布調査の依頼を受けた山本清氏によって発見された。
昭和22年8月、京都大学の梅原末治先生が地元島根考古学会の協力を得て第一号墳(前方後方墳)の竪穴式石室を調査された。
その結果、全国的に珍しい古墳時代中期(5世紀~6世紀前半)の前方後方墳2基と方墳9基からなる貴重な古墳群として、この金先山全体が昭和32年7月29日付で国の史跡に指定された。
昭和38年に至り、「夢ヶ丘住宅団地」の造成工事が行われた際に6基の古墳が消滅した。
その後平成9年3月6日付で住宅地が指定解除され、現在は前方後方墳2基、方墳3基が3つの山に保存されている。

平成10年3月 松江市教育委員会

 

丘の反対側にある別の説明板のほうが詳細でした。

史跡 金崎古墳群
松江市西川津町字金先
昭和32年7月27日指定
この古墳群は昭和18年秋、県の依頼により分布調査を実施した山本清氏(現島根大学名誉教授)によって発見された。
標高30~35mの低い丘陵尾根上に立地し前方後方墳2基、方墳9基からなる古墳群である。
第1号墳については昭和22年夏、京都大学の梅原末治博士と山本氏らによって発掘調査が行われた。
長さ約32m、前方部前端の幅約12m、長さ約9m、高さ約2m、くびれ部の幅約10m、後方部の一辺約23m、高さ約4mをはかり、後方部中央に竪穴式石室を設けている。前方部からは家形埴輪、人物埴輪の破片が出土し、墳丘からは、円筒埴輪の破片が多数出土している。
古代出雲の様相を知る上で非常に重要な古墳群であることから昭和32年には国の史跡に指定された。
昭和38年、宅地造成工事により古墳6基が破壊されたが関係者の努力により残り5基は現状のまま保存されている。
平成9年3月6日付で宅地部分が指定解除されている。
地域住民の古墳に対する関心は強く、今後も大切な歴史環境、自然環境として愛護されているだろう。
平成10年1月 松江市教育委員会

古墳の規模
第1号墳:前方後方墳、全長32m・前方部長さ12m・幅14m・高さ1m、くびれ部幅10m、後方部長さ20m・幅23.5m・高さ3m
第2号墳:方墳、一辺10m・高さ1m
第3号墳:方墳、一辺20m・高さ2m
第4号墳:長方形墳、長辺26.5m・短辺17m・高さ3m
第5号墳:前方後方墳、全長22m・前方部長5m・幅7.5m・高さ1m、後方部17m×20m・高さ25m
史跡指定地:水色の範囲

 

最初の説明板の脇から上がれるように整備されています。

 

最初に目にした墳丘が3号墳。

 

3号墳の標柱。北側裾だったと思います。

 

現地に標柱はあったのですが、後から見つけたこともあり、記憶が曖昧になっています。間違っていたらごめんなさい。

 

こらは2号墳?

 

西側に回り込んだところに標柱があったと思います。

 

丘の東側の住宅地。

 

西側の住宅地。

 

こちらが多分1号墳だったのではないかと。

左奥が後方部で右が前方部か?

 

1号墳の前方部から後方部方向だったか。

 

多分、後方部墳頂ではないかと。

 

1号墳の標柱は、動かされている感じでした。

 

4号墳は斜面が崩れ気味だったので遠望のみで。

 

4号墳を背にして、1~3号墳がある丘を。

 

上記の左の道の先に、擁壁で囲まれた5号墳がありました。

 

しまね観光ナビによれば、1号墳後方部の竪穴式石室からは鏡、玉類、直刀などが出土したが、そのうちの須恵器は山陰地方では最も古い形式に属し、器台・鈴付高坏・異形連管小壺などは類例も少なく、シャーマン的な被葬者像を示すとも考えられる、とのこと。

金崎古墳群 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト