墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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観音塚古墳(飯野坂古墳群) 宮城県名取市飯野坂

前回の宮山古墳から北西側に丘陵を少し下っています。

 

その突き当たったところが観音塚古墳がある丘の麓。

 

丘の周囲は造成された駐車場。

 

丘の西側には、立派な陸上トラック(?)のある「ふたば保育園」

 

東斜面の中腹の道を進むと左手に墳丘が。右奥へと後方部がつづきます。


くびれ部あたりに祠が。

 

祠の脇から鞍部に上がりました。そこから前方部を。

 

前方部の先端側。

 

前方部から、くびれ部、後方部方向を。

 

後方部墳頂手前。

 

後方部墳頂の様子。

 

後方部から振り返った前方部側。

 

後方部から左(西)側はかなり低くなっています。

 

斜面を降りた道路際に説明板がありました。

観音塚古墳は丘の北東端で他の古墳より少し低い位置にありますが、群中で最初に築かれています。

史跡飯野坂古墳群 観音塚古墳
所在地:飯野坂5丁目19番地外
指定日:昭和53年3月16日
●観音塚古墳と飯野坂古墳群
史跡飯野坂古墳は、市西部の丘陵から平野部中央へ突き出た標高約40mの愛島丘陵の北東端(飯野坂5丁目・名取が丘1丁目)に所在する、前方後方墳5基と方墳2基が近接して分布している全国でも珍しい構成の古墳群で、観音塚古墳はその前方後方墳の内の1基です。
それぞれの古墳は、南東側から薬師堂古墳、宮山古墳、山居古墳、山居北古墳が一方向に並んで立地し、山居古墳の東に観音塚古墳、その北西側約30mに観音塚北1号墳、約60mに観音塚北2号墳の方墳が2基あります。
これらの古墳は4世紀に①観音塚古墳→②宮山古墳→③薬師堂古墳→④山居古墳→⑤山居北古墳の順に築かれた代々の首長墓と考えられています。
●観音塚古墳の形態や規模
観音塚古墳は、飯野坂古墳群の最も北東側にある古墳で、山居古墳から約60m離れた、標高約33mの丘陵端に位置しています。昭和30~40年代に周辺が宅地開発されましたが、現地に保存され、現在まで守り伝えられてきました。
平面形は後方部が方形に近く、くびれ部はややしまり、前方部が前端側が大きく開きます。大きさは全長約65m、高さは後方部が約4.9m、前方部が約3.8mと推定されます。段築や葺石、埴輪は認められません。
令和4年3月18日 名取市教育委員会

 

実測図部分。元の丘をうまく活かした感じがします。

 

全体図部分。

5基の前方後方墳がまさに”群れ”を成していますが、その築造時期は、ほぼ古墳時代前期(4世紀代)に収まると考えられているとあります。

飯野坂古墳群 / 名取市指定文化財(詳細) / 名取市指定文化財一覧 / 文化財関連情報 / 文化・スポーツ課 / 教育部 / 組織別インデックス / ホーム - 宮城県名取市の公式サイト

上記のサイトにて非常に有益な位置図pdfが見られることを後で知りました。

https://www.city.natori.miyagi.jp/content/download/1725/11169/file/iinozaka-kofun-ichizu.pdf

 

宮城県のサイトによれば、「発掘調査が行われていないので年代など具体的な内容は明らかでない」とのことわりがありつつ、「薬師堂古墳のくびれ部から壼形埴輪が出土していることなどから、4世紀末~5世紀にかけて代々の首長が次々に築造したものと考えられる」とのこと。

指定文化財〈史跡〉飯野坂古墳群 - 宮城県公式ウェブサイト

 

くびれ部の裾あたりに標柱も。

史跡飯野坂古墳群 観音塚古墳
この古墳は、史跡飯野坂古墳群中の一基で前方後方墳である。全長60m、後方部の長さと幅30m、前方部の長さ30mである。
平成15年10月30日建立

 

前方部左裾から。中央奥が後方部。

 

道路に近いところから、後方部、右にくびれ部。

 

前方部の端。


後方部の裾に踏み跡が。

 

その先には、観音塚北1号墳(方墳:一辺14.4m)が。

 

観音塚北1号墳から見た観音塚古墳の後方部先端側。

 

観音塚北1号墳の北側は急斜面で落ち込んでいました。

 

観音塚古墳からの道を振り返っていますが、この左の樹林の中に観音塚北2号墳(方墳:一辺14.2m)があるようです。

 

多分このあたりかなと。