前回の山居北古墳から南東に60m程に、山居古墳があります。
日本のどこにでもあるような住宅街ですが。
古墳とともにある住宅街は希少です(古墳を巡っていると結構あるのですが)
山居古墳の後方部左上角を西側から。
標柱は道路からは読めない位置に。
北東側側面に回ると、くびれ部あたりに踏み跡が。
後方部墳頂の様子。
墳頂から西方向。南北に連なる奥羽山脈。
北西方向をズームで。
東側は観音塚古墳がある森。樹林が無ければ、平地からは2基が段々になって見えたのでは。
鞍部へ下りて後方部を。
鞍部の左斜面の標柱。
なんとか読みました。
この古墳は、飯野坂古墳群の中のひとつで主軸60m、前方部幅30m、前方部高さ2.8m、後方部幅30m、後方部高さ4.8mの規模をもつ前方後方墳である。
前方部へ渡って後方部側を。
道路に戻って前方部右裾から。右奥が後方部。全長は60m。
前方部の先端側の小径に説明板がありました。
山居古墳は、飯野坂古墳群中で最後から2番目、薬師堂古墳の後に造られたと考えられています。
史跡飯野坂古墳群 山居古墳
所在地:名取が丘1丁目2番15号
指定日:昭和53年3月16日●山居古墳と飯野坂古墳群
史跡飯野坂古墳は、市西部の丘陵から平野部中央へ突き出た標高約40mの愛島丘陵の北東端(飯野坂5丁目・名取が丘1丁目)に所在する、前方後方墳5基と方墳2基が近接して分布している全国でも珍しい構成の古墳群で、観音塚古墳はその前方後方墳の内の1基です。
それぞれの古墳は、南東側から薬師堂古墳、宮山古墳、山居古墳、山居北古墳が一方向に並んで立地し、山居古墳の東に観音塚古墳、その北西側約30mに観音塚北1号墳、約60mに観音塚北2号墳の方墳が2基あります。
これらの古墳は4世紀に①観音塚古墳→②宮山古墳→③薬師堂古墳→④山居古墳→⑤山居北古墳の順に築かれた代々の首長墓と考えられています。●山居古墳の形態や規模
山居北古墳は、標高約38mの丘陵上に立地し、山居北古墳の南東側約60m、観音塚古墳の南西側約60mに位置しています。昭和30~40年代に周辺が宅地開発されましたが、住宅地内の緑地として現状保存されることになりました。
平面形は、方形の後方部から、くびれ部で大きくしまり、前方部の前端側へ大きく開きます。大きさは全長60mで、築造時は後方部と前方部の長さ・幅ともに30mの規模があったと推定されています。高さは、後方部が4.8m、前方部は2.8mで、くびれ部から前端部へ向けて緩やかに高くなっています。段築や葺石や埴輪等の外表施設は認められず、周溝の有無は不明です。
平成29年3月24日 名取市教育委員会
前方部左裾側から、墳丘の南西側面。