前回の築山古墳から100m北にある端山(はやま)古墳。
4世紀初めに築かれた全長78.5mの前方後円墳ですが、現在は後円部のみが残っています。(築山古墳は4世紀末の築)
東側の道路から。当初は右後ろへと前方部が延びていたはず。
墳丘を西側から。
墳丘に上がって北方向を。
中央左寄りに見える白い建物の手前に説明板があるようでしたが、現地では気づきませんでした。
以下はグーグルアースに掲示されている画像から(墳丘の桜が満開の写真も見られます)
端山古墳
中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「伊都国」の中心部に築かれた前方後円墳です。前方部は北を向きますが、破壊されて現在は後円部のみが残っています。
昭和49年(1974)に行われた調査によって、前方部基部の石列が検出され、先端部が横に突出していたことが確認されました。墳丘の規模は、全長78.5m、後円部の直径約42m・高さ約8m、前方部の長さ約38m・幅約23mです。前方部は二段築成、後円部は三段築成で斜面には葺石が施され、周囲には盾形の周濠が廻っていました。周濠を含む全長は約99mです。
主体部は未調査ですが、周辺から出土した土器から、この古墳は4世紀はじめごろに築かれたと考えられ、この古墳の南にある築山古墳よりも先に築かれたと考えられています。また、古い記録には、付近に「茶臼塚」と呼ばれる古墳が存在したことが記されていますが。その位置は確認されていません。
この古墳に葬られた人は、弥生時代の「伊都国」の王に代わってこの地域を支配した、大和政権と深いつながりをもった豪族であったと考えられています。
糸島市教育委員会
上からの写真には前方部の片方の縁(墳丘左上の畑地の境目)が見えているような…
左側の畑の境目がそのライン。この正面に前方部が続いていたのでしょう。