墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三雲南小路遺跡 福岡県糸島市三雲

国史跡・三雲南小路遺跡は、前回までの端山古墳・築山古墳の400mほど南西にあります。

 

築山古墳の脇にあった説明板のマップから。左寄りの■王墓です。

 

現地は、長閑な草原。

 

真ん中に、ぽつんと立つ説明板。

国指定史跡 三雲・井原遺跡 南小路地区
三雲南小路遺跡 ~国内最大級の弥生王墓~
三雲南小路遺跡は弥生時代中期末(約2000年前)の伊都国王の墓で、墓の周囲に幅3~4m・深さ0.5m~0.7mの溝が巡り、東西32m、南北31mの方形区域を設けた国内最大級の弥生王墓です。江戸時代の文政5年(1822)に発見された時には、甕棺の上に1.5mほどの盛土があたとされ、墳丘の存在が想定されます。
墳墓の中央部には2基の大型甕棺があって、青銅製武器、金銅四葉座飾金具、ガラス璧、玉類などの装身具のほかに、1号甕棺には35面以上、2号甕棺には22面以上の前漢鏡が納められていました。このように数十面の中国製の銅鏡を始めとする豪華な副葬品をもち、一定の墓域をもつものは王墓とされ、糸島市にはこのような墓が井原鑓溝王墓・平原王墓へと続き、「魏志倭人伝」にある「伊都国に世々王有り」との記述を裏付けるものとなっています。
この三雲南小路遺跡を含む三雲・井原遺跡は平成29年10月13日に国史跡に指定されました。大切に保存しましょう。
平成30年3月31日 糸島市教育委員会

 

甕棺の位置が札で示されています。手前が1号甕棺なので、その奥が2号甕棺の位置と思われます。

 

”広場”を南東側から。

 

伊都国歴史博物館にあった再現模型。

一辺30m超えの墳丘であれば、このあと訪ねた曽根地区の平原1号墓(1.4㎞北西、平面形14m×10.5m、主体部は割竹形木棺)を凌ぐ大きさです。

市史跡 三雲南小路王墓の墳丘(模型)
糸島市大字三雲(博物館の西1㎞)
三雲南小路王墓は伊都国成立期の王墓です。江戸時代(1822)に直径二尺(60㎝)の大きな合口甕棺(1号甕棺)が発見されたことから世に知られるようになりました。甕棺の埋土から有柄銅剣(国重文)と朱入りの小壺が、棺上からは銅戈が出土しています。
発見時には高さ五尺(約1.5m)ほどの墳丘があったと記録されていて、近年の調査では1号甕棺の北西隣りに新たに大型甕棺(2号甕棺)が発見されました。
また、墳丘の周囲をめぐる周溝も確認され、一辺32m~33mの方形プランの墳丘墓であることが判明しました。
築造当時の王墓の姿を1/50の模型で再現しました。有柄銅剣と小壺の出土状態もみることができます。

 

博物館には甕棺もありました。

 

100mほど南のヤリミゾ地区の木棺墓から出土した、見事なガラス小玉も見ることができます。