墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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インキ山古墳・かん山古墳 奈良県大和高田市築山

1月中旬に訪ねた、東大阪と桜井の古墳旅。

2日目の16日はツアー集合場所の桜井駅へ向かいましたが、近鉄大阪線を途中下車して、奈良盆地の馬見古墳群南縁にある築山古墳周辺を歩いてみました。

 

朝7時過ぎに築山駅に到着。駅近に展開する築山古墳とその陪塚です。

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駅を出るとすぐ、インキ山古墳の説明板があります。

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インキ(インキョ)山古墳
大型前方後円墳・築山古墳(古墳時代前期末~中期初頭・全長210m)の周辺には、中期から後期にかけての大小の古墳が分布しているが、インキ山古墳はその北部域に存在する。
この古墳は、南西から北東に向かって延びる尾根上に築造された小型の前方後円墳である。現在墳丘は、後円部、前方部ともに北西側の部分のみを残している。
平成8年の発掘調査により、2段に築造された後円部の直径は約22~26mで、全長は50mほどであったと推定できる。墳丘に葺石はなく埴輪も立てられていないが、くびれ部のテラスに須恵器の坏を使った祭祀の跡が確認された。この須恵器から、古墳時代後期の6世紀半ば頃の築造と考えられる。埋葬主体部については確認されないが、後円部の高さが比較的低いことや、築山周辺の後期古墳は木棺直葬が大多数を占めることから、この古墳も木棺直葬の可能性が高いとみられる。また後円部の南東部分の裾では葛城地域に検出例の多い円筒埴輪を転用した棺が1基発見されている。中世には築山古墳のように城郭として活用されたことも考えられるが、具体的遺構の確認はできなかった。
大和高田市教育委員会

 

擁壁の上を見ようと、後ろからの道を上りましたが、残った墳丘の一部は保育園の敷地内のようでした。

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築山古墳の北側の、かん山古墳を目指して街中をうろうろ。

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この先の二股を右へ。

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墳丘の残る公園に到着。堂々とした門柱は何かの跡地でしょうか。

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入っていくと墳丘が。

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階段を上がります。

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広い墳頂でした。向こう側には築山古墳。

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検索すると、2003年3月の調査報告書がありました。

かん山古墳 第1次発掘調査概要報告書 - 全国遺跡報告総覧

築山古墳は直径50mほどの2段築成の円墳で、葺石や周濠は見つからなかったものの埴輪が16本分検出され、5世紀前半の築造と考えられるとのこと。
家形埴輪や盾形埴輪の破片も出土し、墳頂部には器材埴輪があったと想定されるそうです。

 

墳頂から西方向には二上山。

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朝日を背にして自分の影を。その先は生駒山地と二上山との間、大和川が流れるところ。

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振り返った東側に奈良盆地。

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朝日が昇ったばかりでした。

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あっという間に明るさが増します。

かん山古墳の南斜面と、その先の築山古墳。

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霜が水滴になっていくところ。

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南東側に降りて、見上げた墳丘。

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南側にある児童公園は、遊具が充実してました。

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