墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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臼杵摩崖仏・後編 大分県臼杵市深田

順路に沿って進んだ最後が、臼杵摩崖仏の中心的存在といわれる古園(ふるぞの)石仏。 

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覆い屋の手前に、最近国宝指定となった金剛力士像。

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平成7年に59体が、磨崖仏としては全国初で国宝指定となっていたが、平成29年にこの2体の金剛力士立像が国宝に追加指定され、現在は61体すべてが国宝となったいる。

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国宝追加指定 金剛力士像

像高:推定249.0㎝
最大幅(右手先から天衣外側):不明
※胴体部分は脱落している。
※脱落片は4個ある。

像高(仏像本体部分の高さ):257.0㎝
最大幅(右手先から天衣外側):187.2㎝
解説
臼杵摩崖仏は昭和27年に国の特別史跡に指定された後、諸仏のほとんどが昭和37年の重要文化財指定、平成7年の国宝指定を受けています。
平成29年3月、古園石仏に向かって右側の岩壁に刻まれた2体の金剛力士像が新たに国宝に追加指定されました。この金剛力士像はいずれも古園石仏と同時期に、参道の山門の二王(二体の金剛力士像という意味)として彫刻されたものではないかと考えられます。
平成29年3月 臼杵市教育委員会 

 

残っている右側は、口を結んでいるので「吽像」か。

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そして覆い屋の中には大日如来を中心とした13体。 

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この大日如来像の制作年代は、平安後期を下らないと言われているそうだ。

以前は頭部が床部に安置されていたが平成5年に元の位置に戻され、昔日の荘厳な姿に復旧されている。

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こちらがかつての様子。

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元に戻ってよかった。

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何度も繰り返してしまうが、これを崖の中から彫り出したということが凄い。

一度彫り始めてからでは配置換えが出来ないし、もちろん失敗はできない。

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正面からのご尊顔。 

切れ長の目、鼻梁から連続する半円の眉が印象的。

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千葉県佐倉市の歴博敷地内にあるレプリカは、以前に見学した。

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とても精巧なレプリカだが、左右に12体、石仏群全体で60体というスケールは想像できなかった。

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大日如来が見ている景色。

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左の端から。 

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大日如来の左側の5尊。

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こちらは右側。

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下記は園路入口の解説板から。

古園石仏と金剛力士立像
密教(天台宗・真言宗)で宇宙そのものを示す仏である大日如来を中尊に13体の如来や菩薩、天部が並びます。この古園石仏は満月寺の全域が見渡せる高台にあり、深田・中尾摩崖仏群の中心となる摩崖仏群と言えます。傍らの岩上に、仏の世界を仏敵から護るように二体の金剛力士立像が彫られています。

 

覆い屋内の案内。「リストラ除け」が、合格祈願より前に。

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駐車場に戻って案内図を見ると、街のほうに臼杵古墳が記されていたのでこの後に訪ねた。 

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