墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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備中国分寺五重塔 岡山県総社市上林

備中国分寺跡は、南向きの緩やかな斜面にありました。

周囲の環境が整っているせいか、五重塔が描くスカイラインがとても美しかったです。

 

ここも国指定史跡。

国指定史跡 備中国分寺跡
所在地:岡山県総社市上林
指定年月日:昭和43年(1968)2月15日
天平13年(741)、聖武天皇は仏教の力で戦乱や疫病などの災いから国を守るという鎮護国家の考えにもとづき、国分寺と国分尼寺の建立を全国に命じました。これが「国分寺建立の詔」です。備中国では、この場所に国分寺、約500m東に国分尼寺が建てられました。
備中国分寺跡では、昭和46年(1971)の発掘調査によって、南門跡、中門跡、築地土塀跡、建物跡、井戸跡が確認されました。南門跡、中門跡には一部礎石が残存しています。寺院を構成する建物を伽藍と呼び、当時の金堂、講堂、塔は、現在の国分寺境内の場所にあったと考えられますが、詳細は不明です。周囲にめぐらされた築地土塀の跡から、寺域は東西約160m、南北約178mにおよぶことがわかりました。
出土した瓦から、備中国分寺の創建は8世紀中ごろと考えられます。中世には衰退し、その後江戸時代中期に日照山国分寺として再興されました。現存する伽藍はすべて江戸時代に建てられたもので、五重塔が国指定重要文化財、庫裏・裏書院・経蔵は県指定重要文化財になっています。
平成27年9月 岡山県教育委員会

(英文は省略)

 

参道の南門跡あたりから西側。右奥は井戸の跡。

 

境内の五重塔は江戸後期の再建ですが重要文化財。 

 

写真に撮るなら、きっと朝がいいですね。

 

現地の説明板。

国指定文化財
備中国分寺五重塔
所在地:岡山県総社市上林
指定年月日:昭和55年(1980)12月18日
備中国分寺五重塔は、江戸時代後期の文政4年(1821)に建設が始まり、弘化元年(1844)頃に完成したと考えられます。岡山県内に現存する唯一の五重塔で、国の重要文化財に指定されています。備中国分寺のその他の建物では、庫裏、裏書院、経蔵が国の重要文化財に指定されています。現在の塔の位置は、奈良時代に建立された備中国分寺の西側築地土塀の中ほどにあたります。
塔の総高は約34.3mで、三層までは欅材、四・五層は松材が主体の木造本瓦葺きで、青銅製の相輪が立てられています。心柱は床下の礎石から塔の中心を貫いて相輪に達しています。塔身部が高くて相輪が短い特徴があります。
初層の中央には、大日如来を表す心柱を中心に東に阿閦如来、西に阿弥陀如来、南に宝生如来、北に不空成就如来の五智如来像が安置されています。初層外部の装飾としては、蟇股に施された十二支の禽獣彫刻、尾垂木の上の龍の彫刻などがあります。五層には、塔の建設に力を尽くした證旭和尚の木造が安置されています。
備中国分寺五重塔では、平成2年(1990)から大規模な修理事業が行われ、平成6年(1994)に修理事業は完了しました。
平成27年10月 岡山県教育委員会

 

近寄って見学できます。

 

見事な軒下。

 

振り返っての境内。

 

国分寺創建は、地域のシンボルが墳丘から塔を含む伽藍に、置き換わったことを示すのでしょう。