小浜市にある若狭国分寺(跡)には、境内に大きな円墳が残っています。
駐車場に面した説明板。円墳の直径は45m。
史跡 若狭国分寺跡
国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇の発願により全国各地に造営されたものであり、僧寺と尼寺がある。
若狭国分寺は、小浜平野の中央を流れる北川の支流である遠敷川と、その支流である松永川とによって東西を囲まれ、南を国道27号線によって区切られたおよそ三角形の地形に位置している。
第一次調査では、国分寺古墳の裾に塔跡、現釈迦堂の下に金堂跡、水田の中より寺域東限、北限が確認されている。第二次調査では、現釈迦堂の前方に中門跡、後方の畑の中より講堂跡が確認されている。
寺域は二町四方が推定され、寺域内には若狭地方最大である径45mの円墳国分寺古墳があり、全国でも類をみないものである。
また薬師堂には、重要文化財の薬師如来坐像、釈迦堂には市指定文化財の釈迦如来坐像が安置してある。
小浜市教育委員会
小浜市のサイトには、径50mとありました。
古墳の位置は、中門跡と南大門跡を結ぶ参道のすぐ東側。先に造られた古墳を取り込むように国分寺が建てられたことになります。
木立に覆われた墳丘。
訪ねた時期は11月下旬。
墳丘の南西側から。左に現在の国分寺(釈迦堂)への参道、右が墳丘です。
裾から見上げた墳頂の若狭姫神社の屋根。
墳丘の高さは6~7mぐらいでしょうか。
厳かな墳頂の様子。
神社を横から。屋根からの張り出しが、かなり大きい。
周囲を見渡せるポイントはありませんでした。
石段を上から。
釈迦堂に参拝。
かつての国分寺金堂の礎石跡が、建物の周りに表されています。
創建は807年だったとのこと。
遠敷の里の古代中世の社寺・仏像群 若狭国分寺
807年創建。聖武天皇が諸国に建立した国分寺のひとつです。創建当初の建物は残っていませんが、柱跡などから往時の繁栄ぶりがうかがえます(国史跡)。木造薬師如来坐像(国指定)は鎌倉時代の作。充実した体の表現と軽快な表現をみせる都伝来の仏像です。
釈迦堂前から国分寺古墳を振り返って(左の木立)
釈迦堂そばの説明板は、駐車場前のものと同じ文面でした。
墳丘の北裾に「塔跡」の表示があったのでそちらへ行ってみました。
国分寺古墳の北裾を通り抜けます。
そのあたりから見上げた墳頂。
墳丘のすぐ北東に、五重塔の跡がありました。
国分寺古墳を南東側から。