大塚古墳の次に訪ねた経塚西古墳は群中の西端、通りからは南への枝道の先。
坂を上がって左手に墳丘があります。
経塚西古墳との標柱も。
裾から見上げた墳頂。
墳頂の様子。
墳頂から南方向。ビニールハウスの向こうに有明海も見えています。
現地説明板は無し。下記は玉名市歴史博物館の解説より。
●経塚西古墳
経塚古墳の西約250mにある、現状の直径約16mの円墳で、墳頂部に安山岩の板石があるので箱式石棺を埋葬施設とすると思われる。出土品、築造時期などは不明である。
あらためて検索すると、玉名市のサイトにも解説がありました。
経塚西古墳は未調査のため詳細は不明であるものの、4世紀末から5世紀初頭に築造された円墳と考えられており、墳丘規模は現況で直径約26m。墳頂部に安山岩の板石が散乱していることから主体部は箱式石棺と想定されるとのこと。
上記解説によれば、経塚・大塚古墳群で残っている4基の築造時期は、大塚古墳(4世紀中頃)→ 経塚古墳(4世紀末頃)→ 小塚古墳と経塚西古墳(4世紀末頃~5世紀初頭)の順のようです。
経塚西古墳から見た東北東の経塚古墳方向。
ズームで経塚古墳の墳丘を。
以上で、2023年3月上旬の肥後墳行は終了です。