唐仁古墳群は、前回の塚崎古墳群の北東3㎞ほど、肝属川を挟んで北側に位置している。
最初に目指した場所が1号墳がある大塚神社。
鳥居の前から振り返った南側。
ズームで。生垣の美しい街並み。
神社の駐車場入り口には、観光地の街角のような古墳の方向表示板があった。
鳥居をくぐると右手に案内図が。とても多く墳丘が残っているようなので、赤く記された墳丘を巡ることにした。
地図に右にあった解説。
国指定史跡 唐仁(とうじん)古墳群
唐仁古墳群の立地と地理的環境
唐仁古墳群は大字新川西に所在しています。
この地域は海抜5~7mの旧期砂丘上にあり、縄文時代後期以前に形成されたものと考えられています。
唐仁古墳群はその砂丘帯に分布しており、南は塚崎古墳群(肝付町)、西は岡崎古墳群(鹿屋市)、北は横瀬古墳(大崎町)で構成される大古墳群のほぼ中央に位置し、昭和9年1月22日に「史跡名勝天然記念物」として132基が指定を受けました。
指定の理由として「本古墳群は大隅地域における最も著しきものなり」とあることから、地域史的観点から見ても歴史的に顕著な遺跡であると考えられています。
まずは「大塚」神社・唐仁大塚古墳へ。
さきほどの地図によれば、参道は前方部左裾から斜めに後円部中心へ向かう。
右手に見えた前方部端。
進んでいくと目の前に後円部が迫ってきた。
とても雰囲気のある苔むした階段は鑑賞のみ。
左から回り込むように墳頂へ。
斜面途中で右手に見た階段。
墳頂の社に参拝。
振り返るとすぐに石段が。かなりの高低差。
それほど広くない墳頂に目いっぱい社が建つ。
墳頂周囲にはロープが張られていた。木々の先に周溝が見えた。
元来た道で後円部を降りる。左から右奥に向かって前方部が延びている。
参道を歩く限りは前方部にいることがわかりにくい。
参道から東側に降りて振り返る。中央の木々の陰に後円部、左に前方部。
上記から後ずさりした位置で。右奥に向かては周溝。
周溝端から墳丘側面を収めようとしたが入りきらなかった。左奥が前方部端で右が後円部裾。 長い!
前方部へ行って、先端方向を。
そこから後円部方向を振り返って。
前方部端を南側から。
前方部右裾から。右奥に後円部。
草の刈られ、広場のような周溝がとても美しかった。
墳丘西側の道路側からも墳丘と周溝の様子を見学できた。右が後円部。
パノラマで。右奥へ前方部が続く。
上記写真の右端。堤のような見える箇所も。
「九州の古墳」によれば、1号墳(唐仁大塚)は墳頂154mで5世紀初頭頃の築造。
埋蔵施設として長さ3.6mの竪穴式石槨を持ち、短辺に2個ずつの棒状縄掛け突起を持つ舟形石棺が納められていたそうです。(社殿の下に埋め戻されているが天井石の一部が見られると書かれていることに、エントリを書いている今気づきました)
築造時期から、塚崎古墳群の首長系譜を継いだ可能性もあるそうです。