今回からは、2023年9月中旬に訪ねた加賀墳行になります。
小松空港で車を借りて、最初に向かったのは加賀市の狐山古墳。
駐車場完備の国史跡。
動橋川の左岸、周囲が田んぼの平地の立地。
こちらが説明板。
史跡 狐山古墳
指定年月日:昭和7年4月19日
この古墳は、平地に築かれた5世紀後半の前方後円墳である。主軸は、ほぼ東西方向で前方部を西に向けている。全長約56m、前方部幅約20m、後円部直径約25mで、高さ約5.5mを測る。周囲には幅約10mの堀が巡っていた。
昭和6年動橋川堤防改修のため、古墳の土砂採取が始まり、翌年1月2日に後円部の中央から凝灰岩製切石を組み合わせた箱式石棺が発見された。
当時県の嘱託だった上田三平によって調査されており、棺内には20個以上の歯牙を有する壮年男子とみられる遺骸が、頭を東に向けて埋葬されていたことを確認している。副葬品は江沼の王者にふさわしい内容で、画文帯神獣鏡や銀製帯金具・金銅丸玉・勾玉・管玉・小玉などの装身具をはじめ、甲冑・直刀・剣・鉄鏃等武具類にわたる豪華なものであった。墳丘には埴輪が巡らされ、人物や器材など形象埴輪も出土しており、畿内王陵墓の地方版と称された。
露呈した石棺は覆い屋によって保護され、出土品の大部分は東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に保存されているが、一部は当地の収蔵庫に保管されている。
英語・ハングル・中国語のものも。
狐山古墳
この古墳は古墳時代中期(5世紀後半)のものである。被葬者は不明であるが、副葬品などに重要な遺物が多く、東京国立博物館および当地の保存庫に保存されている。
南側から墳丘を。長軸はほぼ東西で、左が前方部、右が後円部です。
同じ位置から西方向。
後円部に食い込むように建物が。
現地で説明板を読んでいませんでした。これが石棺の覆い屋だったとは…
額田大玉さんのサイトに画像あり。
墳丘の南側には忠魂碑も。
こちら側の墳裾にはロープが張られていました。
反対側、北側面の裾は緩やかな斜面だったので、上がらせていただきました。
後円部墳頂。右は覆い屋。
前方部方向への尾根道。
くびれ部あたりから前方部を。
前方部から後円部方向を。
こちらは前方部の先端裾。
そこから南西方向。
彼岸花がきれいなところのようですね。