墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

瑠璃光寺 山口県山口市木町

美術館の後は、美しい五重塔で名高い、国宝・瑠璃光寺を訪ねた。

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説明板は本堂のそばにある。

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国宝 国指定建造物
瑠璃光寺五重塔
明治36年4月15日指定
所在地 山口県香山町7番1号
この塔は、嘉吉2年(1442)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。
高さは31.2mで桧皮葺独特の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。塔の身部は上層にゆくにつれて思い切って間をつめているので、
塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁勾欄があるので安定感が強い。鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、この塔は、大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄健なものである。この塔は大内義弘の菩提をとむらうためその弟の盛見がこの地にあった香積寺の境内に建立したものであるが、江戸時代の初めに香積寺の境内は萩に移り、その跡に瑠璃光寺が移ってきた。その後、「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれ、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並ぶ、日本の三名塔のひとつにも数えられている。

 

法隆寺五重塔は7世紀末の飛鳥時代醍醐寺五重塔は951年の平安時代、そしてこちらの瑠璃光寺五重塔は1442年の室町時代

先の二塔は瓦屋根だがこちらは檜皮葺で柔らかな曲線美。

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池は、元は無かったそうです。 

  

池の脇には雪舟銅像がありました。1420年生まれということは、建ったばかりの五重塔を、まだ存在していた大伽藍とともに眺めていたのでしょう。

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画聖 雪舟
雪舟は応永27年(1420)に備中の国に生まれた。
長じて僧となり、京都の相国寺に入って、禅学と共に画技を学んだ。
その後40歳前後に山口に来て天花の雲谷庵に居を定め、画筆に親しんだ。
応仁元年(1467)大内氏の遣明船にのって中国に渡り、絵の修行に励むと同時に中国の風物に接した。
文明元年(1469)日本に帰った雪舟は山口に居住していたが、その後漂泊の旅に出て、再び山口に戻ったのは文明18年(1486)頃と思われ、雲谷庵をアトリエとして多くの傑作を残している。有名な国宝「四季山水図」もこの年に描いている。以後、雪舟はあまり漂泊をすることもなく主として山口で製作を続けていたものと思われる。
雪舟の没年、場所については諸説があるが、現在では永正3年(1506)87歳雲谷庵で没したというのが定説となっている。
雲谷庵は、この向の山裾に跡が残っている。雪舟は朝な夕なそこから五重塔を眺め、山口の美しさを感じたことであろう。

 

緑に包まれる五重塔。 

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初層の軒下の様子。 斗栱も五つ重なる。

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開いている扉もあった。

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格子の向こうに仏像が。

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下から見上げる五層の屋根。

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上層に行くにしたがって屋根の反りが強くなっているようです。

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とても美しいと思いました。

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こちらのランキングでは全国で一番好きな五重塔に選ばれていた、ことを今知りました。

https://blog.with2.net/vote/v/?m=va&id=84361

 

上記の位置から左を向くと本堂。この周りは「香山公園」として整備されています。

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瑠璃光寺山門をくぐり本堂前から振り返ると左に五重塔

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この五重塔法隆寺のように境内の中心にではなく、斜面に近い端のほうに建っていました。