墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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五島美術館 東京都世田谷区上野毛

ぐるっとパスを購入したので、7月31日(日)まで開催中の「館蔵 夏の優品展・動物襲来」を見に上野毛の五島美術館へ行った。

以下は公式サイト五島美術館より。

夏の優品展 ―動物襲来―

入館料は一般1000円だが、ぐるっとパス(2000円・2ヶ月間)には「入場券」が付いている。公益財団法人東京都歴史文化財団

 

東急大井町線の上野毛駅下車。2ヶ所の出口の間を道路が通っているが、バス停の上も覆うように丸穴のあいた屋根がかかっていた。

 

駅からは徒歩5分の距離。駅前地図で環状8号を渡って直進し右折してすぐであることを確認。右下の「上野毛2丁目」の下に「上野毛稲荷塚古墳」があることも確認した。

 

右折するポイント。2車線道はすぐ先で台地下へ下っている。

 

生け垣の美しい高級邸宅街。

 

美術館も五島家私邸の敷地に建つ。私邸を過ぎると立派な門(不老門)が。

 

門の先に美術館入口があった。 

 

さらにその先に橋の欄干が見えたので行ってみると東急線の切り通しだった。 

上野毛方向。

 

反対側、二子玉川方向。この橋の上は「関東の富士見100景」の場所にも選ばれている(現在でも見えるかは不明)

 

庭園側から見た美術館建物。昭和35年(1960)の開館で設計は吉田五十八(いそや)、寝殿造の要素を現代建築に取り入れている。コの字形の両翼が展示室。

以下は公式サイト五島美術館・沿革より抜粋。

美術館設立の構想は、東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太(ごとうけいた 1882-1959)によるものです。慶太翁は鉄道事業のかたわら、半生をかけて古写経をはじめとする貴重な美術品の数々を蒐集しました。自らの所蔵品を広く公開する美術館の設立は慶太翁の宿願であり、精力的にその準備を進めていきましたが、開館を目前にして完成した姿を目にすることなく世を去りました。
この美術館設立を機に、東京都目黒区にあった大東急記念文庫が五島美術館の建物内に移転しました。同文庫は昭和23年(1948)に当時の東京急行電鉄株式会社を東京急行電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄・小田急電鉄・東横百貨店の五社に分離・再編成する記念事業として企図され、昭和24年(1949)4月20日に開庫したもので、慶太翁が一括購入した久原文庫と井上通泰氏の蔵書を発足時の根幹としています。

 所蔵品総数は国宝5件、重要文化財50件を含む約5千件。国宝の源氏物語絵巻は毎年春に、同じく国宝の紫式部日記絵巻は秋に、それぞれ1週間程度展示される。

 

「夏の優品展(7/31まで)」では古代から近代までのさまざまな時代に絵や彫刻、工芸品に表現された動物たち、牛馬や小動物のほか、鳥や虫、さらに河童まで、重要文化財を含む70点の館蔵品が並べられていた。館内は撮影不可。

ポスターにあったこちらの水禽埴輪(5世紀・出土場所は記載なし)06002_001に興味を惹かれた。発掘された日本列島で目にした水鳥埴輪のような愛嬌は感じられなかったものの62cmの高さがあり、長い首のスマートな形が印象的だった。

 

建物の南西側はすぐ斜面になっていてそこが庭園となっていた。

 

崖上には非公開の茶室が何棟か建っている。

 

こちらは私邸のほうか。

 

庭園には石塔、石像が点在する。

 

木々の間から二子玉川のビルが見えた。

 

庭園の案内図。黄緑の芝生エリアから下はほぼ斜面になる。

 

階段を下りて振り返ったところ。

 

崖下エリアにある赤門。

 

崖下には水が沸き、池もある。

 

敷地の先に流れ出す小川。

 

右側は敷地ぎりぎりに建つ民家。うらやましいポジション。

 

台地の下に建つ山門。

 

その先には出口専用のゲートが設けられていた。

 

ゲート側から見た門(春山荘門)

 

ここからは東急線が見上げる高さになっていた。

 

美術館に戻る道は結構険しい。高低差は35mになる。配布される案内図には「基本的に崖ですので『健脚コース』であることにご留意ください」とあった。

またこの辺りには大日如来像をはじめ石仏が多く配されていた。

 

秋は紅葉が見事だろう。

 

小道が入り組んでいて、館内でいただいた地図がなければ迷っていた。

 

こちらは東京都指定天然記念物のコブシの木。斜面の上からなのでわかりにくいが、花の時期に下から見上げると迫力がありそうだった。

 

庭園内にはなんと古墳もあったが、それは別の回で。