墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

丸山古墳 大分県臼杵市大字稲田

臼杵摩崖仏の参拝後は、北へ車で20分弱にある臼塚古墳を訪ねた。まずはそのそばにある丸山古墳へ。 

 

県道205号から左の枝道に入るが、最初に導かれたルートが軽でも難しそうな細い急坂だったので、別の道へ入り、おそるおそる進むと上は開けていて、公民館前のわかりやすい所に小さな墳丘があった。

f:id:massneko:20200801230452p:plain

 

公民館前に車を停めさせていただいて、足早に見学した。 

f:id:massneko:20200801230624p:plain

丸山古墳
所在地:臼杵市大字稲田字西平
築造年代:5世紀中頃
形状:円墳(本来の規模は不明)
埋葬主体:舟形石棺直葬
丸山古墳は、古墳時代において大野川東岸から豊後水道沿岸部にかけての広大な領域を支配していた海部一族の族長(首長)に関係する有力者の墓と考えれれる円墳です。もともとは直径は15m以上あったと考えられますが、周辺道路の拡張や畑の開墾などによって次第に削られていき、現在のような大きさになりました。
その頂部に置かれている板状の石は、この古墳に納められている舟形石棺の一部です。舟形石棺は石を刳りぬいて造られた蓋と棺身(死体を葬る箱の部分)からなりますが、棺身は壊され、底の部分だけがここに現存しています。臼塚古墳の前方部に置かれている蓋が丸山古墳の蓋であると伝えられています。石棺の規模は、残された棺の底から、長さおよぼ2.5m、幅およそ1.0mと推測されます。また、蓋石の断面形状が臼塚古墳のものよりも三角形に近くなっていることから、臼塚古墳のものよりもより新しい時期に造られたものと考えられます。臼杵地方では、このような石棺を持つ古墳はこの2基のみであり、この点からも、丸山古墳に埋葬された人と臼塚古墳の被葬者と深い関係性を示しています。
丸山古墳が所在するこの三重野(みよの)台地にはこの他に、田崎古墳。鏡塚古墳などといった、より小規模な古墳が点在しており、この台地が5世紀前半~中頃にかけて海部集団の拠点であったことを物語っています。
臼杵市教育委員会 

 

墳丘上の石は舟形石棺の底部の破片であった。 

f:id:massneko:20200801230534p:plain

 

丸山古墳からは道路の先(70m程)に臼塚古墳の後円部が見えた。

f:id:massneko:20200801230717p:plain

 

南側からの丸山古墳。五輪塔も古そうだった。

f:id:massneko:20200801230842p:plain

 

その先の道路沿いで。石棺材の雰囲気も…

f:id:massneko:20200801230925p:plain