島田塚古墳(島田塚)は、前回の樋の口古墳の900mほど北、鏡山の北西麓に立地。
2車線道からの枝道に案内板。
ここを入ります。
その先はこんなに細くなります。
そこを抜けると島田塚の後円部。
全長35mの前方後円墳。
県史跡 島田塚
島田塚は鏡山山麓の砂丘上に築造された全長35m、後円部径18m、高さ4.5m、前方部長さ17m、幅19mの比較的小型の前方後円墳です。古墳の主体は両袖単室の横穴式石室で割合大きな自然石を持ち送りに乱積されており、羨道部と玄室との境に仕切石があります。玄室の奥壁にそって無蓋の凝灰岩製舟型石棺が安置されていますが、舟型石棺は古墳時代前半期に用いられたもので、古墳時代後半に築造された島田塚との間には時期的なずれがあります。島田塚は明治43年と昭和8年の2回調査がなされ、鉄製冑、桂甲、冠帽具、鉄刀、鉄鏃、白銅製六獣鏡、方格規矩鏡、碧玉製勾玉、硬玉製管玉、水晶、切子玉、金銅製金具、銅釧、銅碗、金環等が出土し、その主な物は東京国立博物館に収蔵されています。
昭和53年7月1日 佐賀県教育委員会 唐津市教育委員会
後円部上に標柱。左奥が前方部。
後円部南側裾に横穴式石室が開口。
柵の間からはこんな様子。
唐津市のサイトによれば、羨道は長さ4.1m・幅約1m。
しゃがみながら進むので長く感じました。
玄室に到着。
玄室は長さ3.8m・奥壁幅2.7mで、奥壁前には長さ2.4m・幅0.8mの蓋のない石棺があります。
ここも赤色が鮮やかです。
「九州の古墳」の解説によれば、この縄掛突起のある舟形石棺は、石室の築造時期とは整合しないとのこと。
奥壁側の上部。この石室も四方の壁が上部にすぼまる”ドーム状”の造り。
さらに上を向いて。灰色の平たい石が天井石。
奥壁に向かって左側。
向かって右側。
奥壁を背にして。
フラッシュで。
羨道に向かって左側。
右側。
しゃがんで羨道を。
前方部右隅から墳丘を。