宝塚古墳は、前回の妙蓮寺古墳(丘陵端)から北西450m程の平地にあります。
出雲西高のすぐ東で、周りは墓地。
石室石材が露出していますが、木立や生垣で周囲からはわかりづらく。
現在は周りと標高が変わらない「平地」ですが、旧神戸川の自然堤防上であるのに周囲のほうが洪水等で高くなってしまった結果だそう。
宝塚古墳
昭和6年(1931)12月 国指定史跡
一保(いっぽ)塚とも称されるこの古墳の標高は8mで、神戸川の旧自然展望に築かれており、県内の後期古墳を代表するものの一つで、地域色の濃い内部構造になっています。
また、出雲平野の水田地帯に築かれているため、築造当時、地表より高かったはずの石室の床面が、度重なる洪水などにより水田面が上昇したため、現在のように水田面より低くなり、羨道部には土砂が流入しています。
外形:封土が失われているため、規模、形状とも不明。葺石は認められないが、円筒埴輪片が検出されている。
内部:玄室の奥行3.6m、幅2.0m、高さ2.5m 横口式家形石棺
出土品:数個の鉄鏃
出雲市教育委員会
天井石の抜けた羨道の上から入っていきます。右奥が玄室。
石棺が出現。
フラッシュで。角の直線が美しい家形石棺です。
奥壁は平滑な一枚岩。
奥壁側から。
この石棺も長辺横口が開いています。
なぜ開けてあるのでしょうかね。
石棺内の様子。
側壁に泥水が流れた跡(?)がありましたが、櫛のような平行線。
表面が平滑なしるしですね。