墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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横田下古墳 佐賀県唐津市浜玉町横田下

横田下(よこたしも)古墳も、前回と同じく鏡山の麓ですが、こちらは北東側、そして少し高い場所(標高60m程)に立地しています。

 

小型でやっとの細道を上がり、墳丘東側の駐車場に停めて上っていくと…

 

すぐに墳丘に至ります。

 

回り込むと開口部。

 

いただいた資料(2021年度唐津の歴史文化企画展 唐津市域の5世紀 横穴式石室導入の時代)によれば、古墳は大正13年(1924)に開墾中に発見され、昭和5年(1934)に聞き取り調査が行われたことで世に知られるようになったそうです。

 

上がってきた方を振り返って。

 

説明板も古いですが頑張っています。

横田下古墳
山麓の丘陵を利用して営まれた円墳で内部に横穴式石室がある。
石室は玄室と羨道とより成り、此の側壁はいづれも扁平な切石の平積によるものであるが、羨門とみなされる部分は旧状をとどめ、一枚の板石によって閉塞されている。
玄室内には扁平な板石の組み合わせによる三個の石棺が存する。かつて鏡、勾玉、鉄鏃、短甲、筒形銅器、土師器等が発見された。
墳丘は通有の形式であるが、石室及び此の内部における石棺の配置構造は我が国の古墳の中でも特殊な地位を持つもので、当代の文化を考える上で貴重な資料である。
昭和26年6月文化財保護法により史跡に指定された。
昭和61年3月吉日 管理者 浜玉町教育委員会 浜玉町

 

唐津市教育委員会生涯学習文化財課に事前に連絡し、当日は同行いただいたので魔法のように鍵が開きます(本当にありがとうございました)

 

ここは羨道側壁に開いた穴で、右側が本来の開口部(板石で閉塞されています)

 

そして左側に玄室。施錠時の柵越しで覗き込むのは困難と思われます。

 

身体を横に捩じって入室すると、息をのむ空間が。

 

前出の資料には「初期横穴式石室の白眉!」と。

初期の横穴式石室は入室できないものがほとんどなので、見学可能な横田下古墳は古墳マニアから絶大な支持があるとの記載も。

 

また、副葬品として鏡や筒形銅器、土師器、高坏等が知られており、筒形銅器や土器の石室内への副葬には朝鮮半島との深い関係が想定されているそうです。

 

いただいた別の資料から実測図部分を。目盛り最大幅は2m。

出典:1982「末盧国」より

 

壁は扁平な板石を持ち送って積み上げていますが天井の平石は大きく感じました。

床面には奥壁側に蓋のある1号石棺、その手前に側石を共有する2号石棺。

 

奥壁に向かって左の側壁に沿って3号石棺も。

 

右側壁を背にして3号石棺を。

 

 

 

板石には薄いものも小さなものもあります。巨石を組むのとはまた違う繊細さが必要でしょう。

 

奥壁を背にして。

 

開口部は羨道の右です。

 

大きさ比較のために、同行していた妻を入れました。

 

閉塞状態の閉塞石です。

 

本来の開口部がある側を。

 

その背面側。

横田下古墳は径20m~30mの円墳ですが、この先に前方部のついた前方後円墳との説もあるとのこと。

 

 

駐車場へ戻る途中で見えた眺め(北北西方向)

緑の帯は”虹の松原”で、台状の丘が唐津湾にある神集島(かしわじま)

島には横穴式の古墳群もあるようなので、いつか訪ねたいです。