墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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雨の宮1号墳(雨の宮古墳群)石川県鹿島郡中能登町

前回のつづき。

階段を登ると左右に道が分かれており、右を見ると葺石で復元された1号墳の勇姿が目に入った。 

 

ちょうど草刈りの作業中(休憩中)だった。一部の残して手入れされたばかりの姿を見ることができた。

 

墳丘のそばの説明板。

雨の宮1号墳
雨の宮1号墳は前方部を東に向け、墳丘の主軸をほぼ東西に置く前方後方墳です。墳丘の長さ64m、後方部の幅43.8m、前方部の幅31m、後方部の高さ約8.5mを測り、前方部が短く後方部が高いプロポーションをしています。
墳丘は元々の地形を利用して作られていますが、崩れにくくするために、途中に段を作ったり(段築)、斜面に石を葺いたり(葺石)しています。その上、前方後方形に整形する際の盛土には、2種類の土を交互につき固める方法(版築)が採用されています。
この雨の宮1号墳は、こうした当時の先端技術を結集して築かれているのです。

 

実測図部分の拡大。東西方向に中心軸がある前方後方墳。

 

前方部の階段から墳丘へ上がる。

 

斜面には崩れにくいように段築が施されている。

 

上がると平坦な前方部墳頂、その先に後方部への階段があった。

 

前方部端から振り返ったとこと。墳丘は尾根の端ぎりぎりに造られていて前方部の先は急に落ち込んでいる。中能登、邑知地溝帯の水田が見えた。

 

ほぼ直角のくびれ部。

 

前方部の右後ろ方向。その先には雨の宮2号墳があった。

 

そして、こちらが後方部の墳頂。埋葬施設があった位置を石で示している。

 

解説板もあった。

雨の宮1号墳の埋葬施設
雨の宮1号墳には、後方部に2基の埋葬施設が確認されています。発掘が行われた1基は、粘土で棺を密封した「粘土槨」と呼ばれるもので、中には長さ約6mもある「割竹式木棺」という種類の棺が納められていました。
被葬者のまわりには銅製の鏡や車輪石・石釧などの腕輪形石製品、鉄製の刀・剣・甲などのたくさんの副葬品が納められ、この古墳の主が大きな権力を持っていたことが推定できます。

 

後方部の右上端から墳頂。

 

画面左下は左側のくびれ部。

 

かつては平野から見上げると、葺石で覆われた墳丘が山の上で輝いていたはず。

 

後方部上からのパノラマ。手前が前方部。左奥は2号墳。

 

後方部墳頂から2号墳をズーム。

 

後方部の左上端から見下ろ位置に17号墳がある。

 

こちらは後方部右上端から見下ろしたところ。

 

後方部についている階段を降りた。

 

後方部先端の斜面。

 

後方部左上の角。

 

その背面に17号墳がある。墳頂には石室の石の蓋が復元されていた。

 

17号墳の説明板。

雨の宮17号墳
雨の宮17号墳は、直径約16m、高さ約1.5mの円墳です。墳丘は狭い尾根を幅1.5~2mの溝で断ち切って作り出しています。この溝の埋まり方などから、1号墳よりも先に作られていたようです。
墳頂平坦面の東寄りには、安山岩の板石で積み上げられた小規模な竪穴式石室が作られていました。石室は北側を頭に、長さ約3.7m、幅約1.5mの規模で、大きめの板石8枚程度で蓋をしたものでした。内部については、調査を実施していないので分かりませんが、埋葬された当時の姿がそのまま残っているものとみられます。

1号墳に先立って築造されているが、古墳の発見もこちらが先だった。地元の調査で埋葬施設の存在がわかった時点で調査が止まったそうだが、それまで墳丘と認識されていなかった1号墳の発見・発掘へとつながったそうだ。 

 

後方部の右下の角と、くびれ部。

 

そのすぐ脇に。35号墳の小円墳があった。

 

墳丘下に、再整備に関する説明板があった。

雨の宮古墳群の再整備
2007年3月25日、能登半島に大規模な地震が発生し、中能登町一帯は震度6弱を観測しました。この雨の宮古墳でも葺石の崩落や亀裂、段差がいたるところに生じました。文化庁、石川県の指導と協議を重ね、2008年度から再整備をすることになりました。
かつての整備で全国的にも葺石の遺存が高いことで知られ、オリジナルの葺石を魅せてきましたが、今回の再整備では、葺石の風化・崩落等防止のため、葺石を保護土で覆うことになりました。保護土は、古墳時代の葺石を覆うように行いました。
復元整備により行った葺石は、山土に石灰を混合したもので目地詰めを行い崩落の防止を行いました。

 

左側面のくびれ部。前方部から後方部へ上がる階段が写っている。

 

前方部左下の角。崖面との間のスペースは狭い。

 

1号墳左下から3,4号墳へ向かう道があったが時間の都合で次の機会とした。

つづく。