墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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皇子山古墳(皇子山1号墳) 滋賀県大津市錦織

大津市歴史博物館を見学した後は、北に1.5㎞の皇子山古墳へ。

ここはタクシーを利用。

 

なんと運転手さんは皇子山古墳をご存じでした。ピンポイントで登り口に降車。

個人的に皇子山古墳を知っているだけで、ここへ来る人を乗せたことはないとのことでした。

 

登り口の右手道路脇にあった説明板。

皇子山古墳と周辺の遺跡
大津市錦織一丁目
皇子山古墳が造られている錦織・皇子が丘地域は、大津宮が営まれていた地として全国的によく知られています。しかし、この地は、大津宮遷都が行われるかなり以前から、人々が定住し、活発に活動していたことが、いままでの発掘調査で明らかになっています。縄文時代の土器片がや国鉄湖西線西大津駅付近から出土しており、遺構は発見されなかったものの、すでに縄文時代に人々の活動がはじまっていたことがわかります。 
弥生時代から古墳時代にかけて徐々に遺跡が多くなり、古墳時代の初めには近江で最も古いといわれている皇子山一号墳が琵琶湖を見下ろす皇子山の頂上に造られます。これに続いて、6世紀後半から7世紀初めにかけて、山手の丘陵帯に小さな古墳がいくつも造られるようになります。この付近では、宇佐山の麓一帯に30基余りの古墳(宇佐山古墳群・山田古墳群)が知られています。当地域を含めた坂本から皇子が丘にかけての同時代の古墳は大部分が横穴式石室をもち、しかもその他の地域とは異なったドーム状の天井を有したつくりとなっており、それぞれの地域に居住する氏族の違いによるものといわれています。すなわち、ドーム状の天井をもつ横穴式石室は、当地域一帯に居住していた渡来系の氏族(錦織・大友・穴太・三津氏など)が残したものだというのが定説となっています。さらに、この渡来系の氏族たちが、のちの大津宮遷都にあたって大きな力となったことは容易に推測できると思います。いま、大津宮については、発見から10年、発掘調査により徐々に建物の配置などが明らかになりつつあります。いまからそう遠くない時期に、大津宮の全貌がはっきりすることでしょう。  
このように、当地域は、市内でも早くから開かれた地域のひとつとして、皇子山古墳・大津宮(いずれも国指定史跡)をはじめ貴重な埋蔵文化財が多く残されています。我々は、これらの貴重な文化遺産を大切に守り、永く後世に伝えていかなければなりません。 
昭和60年3月 大津市教育委員会 

 

説明板の前から登り口(右の手すり)を振り返って。

皇子が丘の住宅街の細道を入った墳丘の東側斜面下で、駐車スペースは無い場所です。(地理院地図には園路が記載されていますね)

 

道からの比高差は30mくらい。

 

整備されていてとてもありがたいです。

 

登った先にはダム堰堤のような墳丘が!(広角で)

はじめは形をつかめなかったのですが、前方後方墳の後方部の右側面を見ているとわかりました。

 

後方部の先端側、右上裾から。

 

ここにも説明板。4世紀後半頃と考えられる、全長60mの前方後方墳です。

皇子山1号墳
皇子山の頂上に造られた前方後方墳・全長約60m、後方部長さ約35m、前方部長さ25m、前方部先端部幅約28mの大きさをもち、斜面に葺石(墳丘の土砂の流失を防ぐために盛土表面を礫おおったもの)がふかれた立派な造りの古墳です。特に、古墳の東側面は、西側にくらべて、葺石がていねいに ふかれており、明らかに琵琶湖を意識した造り方となっています。なお、現在、見えております墳丘斜面の葺石は、古墳築造時の葺石の状況を理解していただくために、墳丘に盛り土(古墳築造時の葺石を保護するため)を行ったうえに復元したものです。
発掘調査は、昭和四45年に滋賀県教育委員会の手で行われ、地面を削り出したうえに盛り土をした古墳であること、後方部に4カ所、前方部に1カ所の遺体を埋葬した施設があったこと、などが判明しました。埋葬施設の詳しい調査が行われていないため古墳が造られた時期は確定できませんでしたが、 葺石の間などから見つかった土器から、4世紀後半頃の築造年代が考えられています。これにより、皇子山1号墳は近江で最も古い時期の古墳であることが明らかになりました。しかし、どのような人物が埋葬されているかについては、残念ながらわかっておりません。 
昭和60年3月 大津市教育委員会

 

埋葬施設は後方部に3か所、前方部に1カ所。


後方部角の稜線から上がらせていただきました。

 

後方部中段テラス。

 

後方部の墳頂です。

 

琵琶湖が一望できる好立地。

 

古墳のある丘は南西側にも斜面が下っていました。

 

崖下は西大津バイパスの宇佐山トンネル南口付近で、道路工事で削った部分も大きいのでしょうが、この場所が宇佐山からの山裾先端にあることが実感できました。

 

東側のくびれ上部あたりをj後方部から。右奥が前方部。


前方部上に育っている木。

 

前方部から後方部を。

 

前方部の東斜面には見学者用階段も設けられていました。

 

前方部の右裾から。

 

くびれ部(前方部と後方部の接合部分)

 

くびれ部前あたりから前方部を。

 

一応パノラマでも。左が前方部、右が後方部。

 

その背面側に「びわこ風景絵図」のパネルもありましたが、現在ここからは樹木で眺望はありません。

 

園路を戻る途中で一か所、見通しのポイントがありました。

 

道路まで下り、近江神宮へのルート確認でスマホ地図を見たときに、皇子山2号墳(径20mの円墳)を見忘れたことに気づきました。

再び階段を登る気にはなれなかったので次の機会としました。

2024年6月上旬訪問